2007年5月7日 – 東京 – 当社はオペレーショナルリスク管理先進的計測手法(AMA)への対応を前提として開発したNumerical Technologies Magnitude® の出荷を開始致しました。本製品は, 株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループ様で採用されました。当社製品Operational Risk Browserの後継製品となります。
2007年5月 – 東京 – 製造業における流動比率は中小企業で120%台、大企業でも130%台が平均です(経済産業省:商工業実態基本調査)。当社のように900%を超える企業はきわめて珍しい存在と言えるでしょう。有利子負債比率が0%ということは、銀行に行く理由は預金取引と貸金庫取引程度という意味です。固定資産比率は一般に長期固定される設備投資に見合う数値です(=もしもそうでなかったらそれは財テク企業)。優良大企業であっても固定資産比率は容易に100%を超えます(=固定資産比率100%超とは他人資本で賄われる借金体質)。それが当社は固定資産比率が事実上ゼロ。 ということは、設備機械がほとんど要らない業態であるとともに、自社ビル等の固定資産あるいは塩漬けになっている投機性資産が存在しないことを意味します。当社の90%に迫る自己資本比率も、中小企業が20%台、大企業が40%程度が製造業の平均にすぎないことを考えますと明らかに高水準です。 このように財務分析的な健全性は自慢できるとしても、経営の巧拙の観点から見れば異なる評価、厳しい評価になります。すなわち、健全性指標が良いのはいいが、良すぎるのは企業として投資を通じた将来の利益向上努力を怠っている、石橋を叩いて渡り過ぎている、という批判です。無論、もし当社が上場していれば間違いなく株主から、「経営的に冒険してもっと稼げ」、「過剰な手元流動性を減らして経常経費節減につながる固定資産を持て」、「それもできないならば配当性向を高めよ」、などと言われるでしょう。そうならないのは、当社は非公開会社で「当社の株主=働き盛りの主力従業員」であり、非株主の従業員も情報サービス業平均を遙かに上回る高給取り(=労働分配率が高い)なので、従業員の意思(=利益追求の前に安全性を選好して雇用を安定させたい)が株主の意思になるためです。 毎年毎年、信用情報調査会社のデータベースが更新される度に、ベンチャーキャピタル各社の営業の方が当社に接触して来られます。おそらくこの決算概要を一番熱心にお読みになるであろうその種の営業の方々に申し上げておきますが、財務内容が示す通り、また当社役員が元は某メガバンクの市場部門に長く勤めた者であることからご想像できるかと思いますが、仮に上場したければ我々は何年も前にさっさとしているわけです。現在の財務内容は言わば確信犯的にこのような内容に誘導しているのであり、したがって当社が外部の投資事業組合から株主を迎える可能性はまったくございません。また、無理な経営拡大策を弄して上場を狙う意図もありません。あくまで自然体が一番。赤字が出れば出せばよいしそれならば非上場の方が気楽だし、高成長が何年も続きそうで上場に見合うのであればその時に上場すればよい、大体年商数億円程度で簡単に上場させるような今のマーケットの方がおかしい、こんな風に考えています。
2007年5月 – 東京 – 私がこの原稿を書いている場所は、英ICBIの金融カンファレンス”Risk Capital 2007″(*1: ICBI Risk Capital 2007)が行われているホテルです。このカンファレンスは民間主催とはいえバーゼル銀行監督委員会議長も講演し、世界各国の金融機関やコンサルタントが集まります。おかげで規制当局と民間との良いコミュニケーションの場になっているようです。こうした場は金融機関の本音が飛び出して面白いものです。その中から興味深いテーマをひとつご紹介したいと思います。 今年度以降いわゆる新BIS規制(Basel II)が各国で実施されます。この規制導入によって、金融機関が持つ資産の信用度に応じて必要自己資本が変動するようになります(下図)。 Basel II 導入で EC (Economic Capital) 管理の重要性が増す ドイツ銀のプレゼンによればその変動幅は実に15%になるのだとか。改めて言われてみると非常に大きく感じませんか。 Basel IIが導入された後、金融機関はこれから4種類の自己資本を意識しなければなりません。すなわち、(1)時価総額、(2)会計上の自己資本、(3)BIS規制上の必要自己資本、(4)内部モデルで計算する自己資本、の4つです。(3)と(4)が異なる理由は、Basel II自身は真のリスク量を反映していないというのが市場参加者のコンセンサスであり、規制当局もBIS規制の第2の柱(Pillar II、金融機関の自己管理と監督上の検証)として暗黙のうちにそれを認めているので、各金融機関はBIS規制用とは別の内部基準に従ってリスク管理を行っているからです(*2: 悩ましき Pillar II & III)。ちなみに、(3)に比べると(4)は遙かに小さくなるのが普通で、シティバンクのプレゼンなどは真のリスク量対比で見ればBIS規制上の必要自己資本は4倍も過大であると主張していました(*3: BIS規制上の必要自己資本は過大か)。 それでBasel II導入後は、(3)の許容度を決め、(4)を計算してビジネスユニット別に配分する仕事が新たに発生します。この職務権限が明確ではなかったので、ドイツ銀行の場合は従来のALM委員会を廃止し、新たにEC(Economic Capital)配分に関する全権を担う委員会Capital and Risk Comitteeを新設したのだそうです(下図)。 ALCO廃止とLEMGの新設 ドイツ銀行の説明によれば、融資でとったポジションは日次で勘定をLEMG(Loan Exporsure Management Group)に移管するとのこと。LEMGはCRCが定める枠に応じて市場でヘッジするなり外すなりに責任を持つのです。銀行業に携わったことのある方ならば説明を要しないと思いますが、この種の理想論には明らかな欠点があり(*4: ドイツ銀行方式は正しいか)、しかも時期が悪い(*5: CROの大切さ)。それでもなお、我が国では1990年代に導入が進んだスプレッドバンキングがまたもや時代遅れになりつつある点に注意を払うべきです。 すなわち、銀行の取締役会・経営会議の役割が変わるということ。従来であれば先のグラフに示した通り必要自己資本額など大して変るものではありません。だから、3か月に1回程度ALM委員会を開いて形式的なEC配分を行い、銀行の経営陣は「適当に」リミットを追認していればよかった。極論すれば経営会議の場で経営判断してもらう必要はない。だからトップに人材を得なくても何とかなったのです。 ところがBasel IIが適用になるとECが大きく変動する。余ったECをどこに配分するか(どこに貸すか)。不足するECをどこから回収するか。あるいは収益を犠牲にして外したりプロテクトを買うのか。そうした経営判断を上にしてもらわねばなりません。だから市場感覚を持ち「任期中にポジションを張る」覚悟を決めた経営陣を持たない銀行はとても不幸になりそう。景気変動の1サイクルが終わってみれば、上に人を得たライバル行に業績面で遠く引き離され、株価も下がり、買収の標的になってしまった。そんな想像も現実化しそうです。 ところでBasel IIが導入されて困るかと言えば、開き直った金融機関経営者にとっては逆に朗報もあります。Basel IIフレームワークに従いリスクアセット額の上限付近で運用する金融機関ポートフォリオにおいて何らかの外的要因(景気変動)が格付け低下を生じたならば、(リスク資本を消費しない)高格付け先への貸し出しを増やすのは構わないが、(リスク資本を消費する)低格付け先への貸し出しは回収すべきである、と読めます。景気変動が原因であろうとなかろうと、総貸出量と貸出先配分の問題は外挿シナリオさえ与えたならば機械的に算出される。そこに恣意性はありません。だからこそ理論上はバブル崩壊時にされたような「不動産融資批判」や「貸し渋り批判」などとんでもないわけで、それはマクロ問題=当局の問題であり、民間金融機関はバブルが起きたら一緒に浮かれないとダメであります。そしてバブル崩壊を読んだらさっさと外すか貸出回収しないといけません。そうしなければ、先に記したとおりライバル行に業績面で引き離され、株価も下がり、買収の標的になってしまうかもしれない。ですから、再びバブルが起きたら「バブルへGO」(*6: 次のバブル&バブル崩壊は政策当局発になる?)。 実にわかりやすいと思われませんか。近年流行のCPMもこの方向に育てねばならないのでしょう(*7: CDSレバレッジの恐怖)。 *1 ICBI […]
2007年5月 – 東京 – あなたが金融機関のシステムプロジェクトの責任者で「グリッドコンピューティングを導入しよう!」とシステム業者さんを集めたとします。すると、バラ色の話をこれでもかと言うほど営業マンやコンサルタントから聞かされて有頂天になること請け合いです。なぜならば、学術研究のグリッドコンピューティングや、http://setiathome.berkeley.edu/のような不特定多数の参加によるシステムとは違って、セキュリティが優先する民間企業ビジネスにおけるグリッドコンピューティングは閉鎖されたネットワーク内で行われるのであり、大抵は大量のブレードサーバの導入につながるからです。考えても見てください。「今期販売計画XXX台ブレード売って来い!」と言われたメーカの営業マンを。彼らの目の前には数千万円から数十億円の商談がぶら下がっている!一商談で数百台売れてしまうんですよ。社内表彰モノではないですか。 そこでこのコラムでは、IBMとかHPとかガートナーが絶対書けない(社命により書いてはいけないのかもしれない)話題を扱います。すなわち、グリッドコンピューティングを導入するにあたって本当に知っておかねばならない知識です。 システム屋がグリッドコンピューティングを好む理由 グリッドコンピューティングが最新技術?とんでもない。並列処理の話題、分散処理の話題はそれこそコンピュータの創生期からある話題、周期的にブーム化する商談です(前回ブームは記憶にないかもしれませんが10年以上も昔)。それでは今回はなぜ注目されているのか、その理由を理解するためにまず次の図をご覧ください。 Intel製CPUのクロック周波数の変遷(単位:MHz、対数目盛) この図を見れば2004年付近を最後にしてCPUの処理能力向上が止まっているのがわかると思います。新しいパソコンを買っても何だか以前に買い替えたようなスピードアップ感がなくなったと感じませんか。その原因の多くはCPUの処理能力が頭打ちになったためで、そのまた背景には物理学的理由と経済学的理由の両方があります。重要なことは、今立ちはだかっている技術的壁は巨大で、おそらく今後何年も(10年以上かもしれない)この性能頭打ち状態が続きそうだということです。詳しい理由は別の論文をご覧ください(例えば、W.W.ギブス, “マルチコアチップ”, 日経サイエンス2005年2月号, p.98)。 つまり性能を目玉にしている限り、コンピュータの買い替えを促せないことを意味します。それで米Intel社をはじめとするCPU製造メーカーはチップ内並列処理「マルチコア」に走り、システムメーカーはたくさんサーバーを繋げば速くなると言って「スケールアウト」という新語を発明したのです。このスケールアウトをカッコよくしたのが「グリッドコンピューティング」と思えば間違いありません(なお学術系グリッドの場合はインターコネクト技術の発展をグリッドブームの理由とするかもしれないが金融系とは別世界の話)。 スケールアウトをうまく使えば大変経済的なシステムが生まれます。次の図をご覧ください。 CPUクロック周波数別・メモリ量別の標準的なサーバー価格 [出所] 2007年6月における、64ビット版Windows, 73GB x 4 HDD を搭載した2CPUサーバの市中価格、当社調べ この図が示すのは、サーバ機の価格はある規模以上になると急激に上昇するという事実です。サーバ機の価格に関する限りCPU単体の影響は軽微で、支配要因はCPU数と搭載メモリ量。この原稿を書いている現在ではCPU数にして2CPU(ソケット)を超えたり、メモリ量にして16GBを超えると、突如価格が跳ね上がります。つまり性能対価格比から見れば2CPU(現時点では8コア)16GBメモリ機がお買い得(その理由にはCPU=メモリ間インターフェイス問題とDRAM市場サイクルが関係しますが本題とは関係ありませんので割愛します)。SunやHPの巨大なサーバを買うよりも(=スケールアップ)、この2CPU機をたくさんつないで使う方が(=スケールアウト)、絶対賢いと思いませんか。 ところが話はそんなに単純ではありません。忘れているポイントを2つ指摘しておきましょう。 第1の問題は、そんな並列ハードウェアに対応するソフトウェアを誰が書くのか。 2005年頃に「ソフトウェアにおけるフリーランチ」として専門家の間で話題になりました。 詳細な理由は、“The Free Lunch Is Over: A Fundamental Turn Toward Concurrency in Software By Herb Sutter” (Herb Sutter氏は斯界ではD.E.Knuth教授並みに著名な方で現在は米Microsoft社のコンサルタント) に説明されています。きちんと動作する並列処理ソフトウェアを書くのはとても難しい。これが任天堂のWiiやマイクロソフトのXbox360に比べて、ソニーのゲーム機PS3(マルチコアCPUを使っている)対応のゲームが出揃わないひとつの理由です。価格ばかりがソニーのゲーム機戦略失敗の理由ではありません。 第2の問題は、グリッドコンピューティングシステムは故障する、ということ。 故障しやすさを表す用語に、平均故障間隔(MTBF)、平均故障時間(MTTF)、というのがあり、メーカーのカタログを見ておりますととてつもない数字が書いてあります。例えばMTTFが100万時間とか。それでは「114年に1回しか故障しないのか!」と思った方にはマシンルームで作業しているエンジニアが真相を語ってくれるでしょう。現実は次の図の通りです。 米Google社における利用年毎のハードディスク平均故障率 [出所] Eduardo Pinheiro, Wolf-Dietrich Weber, and Luiz […]
2007年5月 – 東京 – 2007年問題と言えば「団塊の世代」退職に伴ってノウハウを持った方が職場からいなくなってしまうという意味で使われます。が、ここでは理工系職場の世界が如何にすごいことになっているのか、大学生のデータで示そうと思います。 このコラムをお読みになる方がいかなる年代に属するのかわかりませんので、退屈かもしれませんがまずは基本的な内容から整理していきます。最初に次の図をご覧ください。 18歳人口と高校卒業年別の大学入学志願者数・入学者数・入試倍率 [出所] 文部科学省「学校基本調査」 大学の「みかけの入試倍率」は、年代別に見ると5倍から9倍に至るまで大きく変化しています。入試倍率が上がる理由は4つあります。すなわち、1)複数受験する人が増えた、2)受験人口が増大した、3)入学定員が減少した、4)受験先の人気が高まった、です。 図を見ますと、複数受験が可能であった時期とそうではない時期とでは大きく入試倍率が異なります。例えば中曽根政権下で共通一次試験を改革し併願可能とした1987年がそれです。ただし、複数受験が可能というのは、見かけの入試倍率を押し上げますが本質的な入試倍率を上げることにはなりません。入学辞退者が続出するからです。また入試科目の数などは、確かに受験生にとっては大変かもしれませんが、本質的な難しさとは何ら関係がありません。 そこで、「みかけの入試倍率」ではなく、本当の入試難易度を測るために「潜在入試倍率」というものを定義してみます。潜在入試倍率とは、18歳人口を大学入学者数で割った数値のことで、仮に18歳になった人すべてが大学入学を希望したとすれば大学の入試倍率がいくらになるのかを示すものです。 こうしてみますと、1991年以降どんどん入試が簡単になってきたことがわかります。1990年の約4倍から最近は2倍あたりまで低下するという超楽勝ぶり。そう考えると最初のベビーブーム世代は入試倍率6倍ですから苦労してますね。そして入試倍率と反比例する形で大学生の質が低下したと理解すれば、同じ大学を出てはいても「昔の京大工学部化学科はこんなではなかった」、と仰る退職間際のオジサンの優秀さも理解できるというものです。なお、最初から大学入試に参加しないという意味でのこの間の普通科高校進学率も大学入試に影響を与えてはおりますが、その種の問題は図で示した1970年以降に関する限り軽微です(図が煩雑になるため数字は省略しました)。 ではなぜ1991年以降の入試が全体的に簡単になってきたのか。それは、2)受験人口と、3)入学定員の、両方が関係しています。先に受験人口から見ますと、18歳人口が減少に転じたのは1993年からであり、今では2割方大学入試の競争相手がいなくなった状況にあります。これは大きい。 大学入学定員については次の図をご覧ください。 学部別の大学入学者数 [出所] 文部科学省「学校基本調査」 趨勢的に大学入学定員は増えていますが、特に1985年を境にして各段に増員されたことがわかります。なんと実に2倍です。これら2つの要因が大学入試がやさしくなった理由であり、大学生、ひいては大学卒業生の質低下をもたらしたと考えれば間違ってないと思います。もちろん、教員の質が低下したとか、学習指導要領がいけないとか世間ではいろいろと言われておりますけれども、やはり人口要因は無視できない。いわゆる「分数が出来ない大学生」問題の最大の容疑者はこれでしょう。 さて、今度は学部別に見ていきましょう。 グラフの中で理工系と定義したのは、理学部、工学部、理工学部の合計です。また経済系とは、経済学部、商学部、経営学部の合計です。図が示すのは1997年あたりを境にして、理工系、経済系ともに入学定員が緩やかな減少傾向にあることです。それはなぜかと言えば、特に土木系や農業系のような不人気学科が、「環境…」など接頭辞を付けた洗練された名称に看板替えしたからです。経済系も同じで「経営…」とか「国際…」などが流行しています。 こうした看板替えの流行自体は本題とは関係ありません。ここでは、経済系と理工系の入学定員はほぼ同じであること、そしてどちらにも分類できない学部がどんどん増えたおかげで大学入学定員は1980年代初の2倍近くまで増えたことを覚えておいてください。 次に学部別の大学入試志願者数を見ることにします。 学部別の大学入学志願者数 [出所] 文部科学省「学校基本調査」 1986年を境にして一気に理工系離れが進んだことが明らかです。「でも1991年以降は経済系人気も落ちて最近は理工系離れも元に戻ってるじゃないか」と思われた方、早とちりです。次の図を見てください。 定員割れ学校数の推移(私立大学) [出所] 日本私立学校振興・共済事業団「私立大学・短期大学等入学志願動向」 なんと今や私立大学の4割が定員割れする時代。大学入試自体の容易化が進行したおかげで、1990年代の後半になると「誰でも入学できる」とは言わないにしても全学部で入試倍率の低下傾向がみられるというのが真相。 もちろん上位校は別であろうけれども、母集団全体で見れば学生のクオリティに関わらず難易度の高い学部が消えつつあるというのが実態に近いのです(なおこの何年か医薬系に人気が集まる「医学部シフト」要因があるが、統計上は医薬系ブームも昨年度から沈静化傾向にある模様)。 次の図のように入試倍率に換算してみますと理工系離れはさらに露骨になります。 学部別の大学入試倍率 [出所] 文部科学省「学校基本調査」 1990年代前半の経済系人気がさらによくわかります。逆に言えば、人気の受験漫画”ドラゴン桜”で「東大を目指すならば理Ⅰを狙えば簡単だ」と言っているのは本当だったのです(先日最終回になり主人公の教え子のひとりは東大理Ⅰに見事合格)。 私は1986年に大学を卒業したので当時の状況はよく覚えています。経済系がサークルで遊びまくっている一方で(本当かどうかはともかくとしてそう言われていた)、理工系は授業と実験に勤しまなければならない(これはかなり真実)。会社訪問(私が出た学科の場合は今ほどではないが売り手市場で当時は4年生の春に就活をやりました)で日立の研究所(山奥)に勤める先輩(人工知能を研究中)を訪ねれば「お前ここで年に何人自殺してるか知ってるか」と驚かされ、NECでは「ここで難しいソフトウェアやマイクロプロセッサ作ったって(=当時NECはVシリーズという名前の米Intel社製互換CPUを独自開発し売っていた)グループ企業の中では評価されないんだ」と愚痴を聞き、「メーカーは男ばかりだから彼女いるなら離すなよ」と妙なアドバイスをされ(府中や三田ばかりでなく日立市でも同じ話になった)、富士通は「電機労連系=給料低い」しDRAMばかりで(異端な人は相手にされない雰囲気)面白くなさそうで(課長昇進試験のことは当時から有名だった)皆敬遠しているから最初から行かず、日本IBMに行けば「Think」のロゴ(当時のキャッチコピー)入りクリアフォルダをもらえて嬉しかったが六本木も箱崎も所詮営業の会社だとわかってがっかり「行くなら博士とってから大和の基礎研だよね」と学生どうし話し合い(私の学科から就職する人は修士か博士をとって研究職が普通であって学士で卒業するのは少数派)、リコーの中央研究所は「将来なくなってしまうかも」と思って敬遠し(あの放射状の机は当時からあって中央研究所は結局今でも存在している)、ソニーにも多少心が動いたが(一緒にスキーに行ったら開発中のビデオカメラもちろん未発売品をゲレンデに持ってきた先輩がいたほど自由な雰囲気)でも「危ない」と思った。変わったところではヤマハ(昔はパソコンも作っていたしMIDIは当時よりも古い)は就職した先輩も会社も素晴らしかったが浜松は遠すぎ、警察庁(知られざる東大情報科学科卒業生の有力就職先で映画「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」に登場する監視モニターシステムC.A.R.A.S.のモデルか)に行った先輩がまぶしく見えたが「所詮は技官」と思い...といった状況。これだけ正直者のリクルーター(ネットが普及する以前の理工系の人は一般に正直で小心者だった)が教えてくれれば相当な覚悟がない限りどんなに勧誘されようがメーカーには行きたくなくなる。それで「自分には大学院よりも異分野で経験積んだ方が向いていそうだ」と考えたのが就職活動を始めたきっかけだったと思い直し(私の場合はリクルートG8ビルでのアルバイト=リクルート社員の方ならわかると思うが館内放送があってバンザイする奴です、が原体験となって学科では珍しい就活マニアになった)、「君、いい加減にして大学院に入りなさい」と言う先生の反対(今では大学院に行った方が良かったのかもと思い直して感謝してますが当時どれほど反対されたか何人の先生から反対されたかご想像ください!)を押し切って銀行や商社を会社訪問してみれば(商社と生保をそれぞれ2社訪問してみたが私が優秀でないせいか拘束されなかった)、体育会系と国家公務員受験者を優遇する雰囲気ありありで嫌だったが(その翌年リクルーターとして真相を知ることになる)、世間知らずなので拘束にあって面倒になりそのまま就職を決めてしまった(このあたりが文系の皆さんと違うところ)。そうしたら文科系の友人から「お前よくあんなきついところにしたな」と言われて(当時は同じようにひどい言われ方をした証券会社が別にあった)、「しまった」と思いシュンとなったものの(もう遅い)、「日立にするくらいならいいや」と自分を納得させた(その頃の私は就活は押さえとし最終的に大学院進学と天秤にかけるという甘い作戦を考えていたから多少不満な先で内定してもあきらめがついた)。それで大学4年生の夏休みに入り大学院の入試勉強も面倒になり、内定先の銀行で時々集まりがあって供される食事が「学生控室の冷蔵庫にある赤札堂(弥生門から徒歩10分)で買った安物ワインプラスチックカップ入りとは大きな違いだなあ」と学士卒業&就職に決めてしまう。...回想すればこんな感じでした。当時はバブルに向かって駆け上がろうという時期であり、「マル金、マル貧(ビ)」が流行語になっているくらい拝金志向が強く、「三高」(=高身長高学歴高収入)と言って女性にもてるかどうかも(これから就職する20代としては重要な要素)収入次第と思われていました。いきおい、理工系卒メーカー入社と言えば同情されていた。逆に理工系で東京電力(彼が手配してくれたおかげでこれだけたくさん会社訪問できたし電中研の話も聞けた)や東京ガス(それで浜松町ものぞいてみました)を選んだ人は自信に満ち溢れて見えました。 もちろん20年後の今から振り返れば、当時は青臭い考え方をしたものだと思うし、多くの予想ははずれています。が、これだけの逆風下で1990年代前半以降に理工系を選んだ方は大したものだと証言できるでしょう。いずれにしても優秀な学生は理工系から経済系に流れた。それも奔流となって。それは銀行が理系大量採用を開始し、共通一次試験が国立大学併願可能に変更された1988年から起きた。一見すれば18歳人口減と大学入学定員増によって隠蔽されてはいるけれど現在もそのトレンドは続いている。 さて、最後の図「大学院修士課程の入学者数」をご覧ください。 大学院修士課程の入学者数 [出所] 文部科学省「学校基本調査」 国の大学院生倍増化計画を受けて、先に見た大学の比ではない変化が大学院に起きた。今や1980年代前半の実に4倍の人員が大学院に流れこみ、院生の質が大幅に劣化しているという事実。逆に言えばかっての修士や博士のクオリティは素晴らしいものだったのかも。 俗にマネーロンダリングにかけて「学歴ロンダリング」という言葉があって、東大に入るのは難しくても東大の大学院に入るのは簡単だから、最終学歴をカッコよくしたければ大学院を目指しなさいという意味で使います。企業の人事部がそんな計略に引っ掛かるはずがなく、まるでワインのビンテージ物のように「君学士を取った大学はどちら?」「学士取得年はいつ?」と聞いては修士や博士をふるいにかけている。そんな現実は報道されないで、やれ「博士課程出身者を企業は評価すべきだ」などという馬鹿な意見が横行しているわけです。 まとめましょう。 国内の同じ大学から定期採用している企業の場合、学生全般の質低下が進んだために若年層の質が近年大きく低下したと考えられる。 この傾向は理工系、そして大学院から定期採用する企業の場合、より強く影響が現われていると思われる。 経済系を中心に採用し、配置転換等で採用人員の目標シフトを誘導できた企業は、上記変化の悪影響を一応回避できている可能性がある。 このコラムは日本の技術系の現在および将来像というテーマでしたが、様々な推論を引き出すことが可能であると思います。例えば「加熱する中学受験って意味あるの」のような推論ですが本題からはずれるのでやめておきます。 以下はもう少し踏み込んだ本筋の仮説です。 […]
2007年5月7日 – 東京 – Numerical Technologies Altitude® のグリッドコンピューティング対応版を出荷しました。 これにより、デュレーションの長い保険資産の大規模ポートフォリオの評価や、銀行業における数百万件規模の資産負債ポートフォリオの日次長期間モンテカルロシミュレーションといった、これまでの常識からすれば信じがたい規模の計算が可能になります。
例年この決算概況欄で申し上げておりますように、当社財務の特徴は単純さ、非常にわかりやすい(=会計上の操作性がない)経営です。 当社は創業以来黒字基調で累積損失がなく、取り崩しあるいは評価替えが必要な在庫がなく、評価損を出すような固定資産も、のれん代償却を要する買収会社も、売上や利益付け替えを出来るような連結対象会社も非連結関連会社もなく、100%自社開発で外注先も存在しません。 これほど単純な会社では、近年話題の架空売上計上どころか、合法的節税策すら選択肢がほとんど存在しません。 したがって売上増はストレートに利益増につながります。 もしも当社が上場会社であれば利益増は配当増(=利益は社外流出する)で良いことですが、当社は非上場会社かつ無配当(=利益は社外流出しない)であり、創業から9期連続黒字決算でしたから自己資本も厚い(=つまり内部留保の積み上げは必要ない)企業です。 人目さえ気にしないならば損益ゼロが理想、したがって過大な利益増は納税額増=資本回転率低下を意味する反省材料になります。
2006年6月24日 – 東京 – 中央三井信託銀行株式会社様では、信用リスク管理の更なる高度化(信用リスクを計測する上での相関パラメータの精緻化等)を目的として、これまでの自社開発モデルから CreditBrowser® へ移行されました。
2006年5月 – 東京 – 「会社の格付けって何のことだか知ってますか?」と皆様にお聞きすれば、学生さんだって「そんなの知ってるよ」と答えが返ってくるくらい一般化してしまった信用格付け。ですが、実は本当のところが結構知られていないのではないかと思います。これが大企業の格付けの話題であれば日本経済新聞を読んでわかった気になっているかもしれませんが、そんなのは日本で数百社しか存在しないし、上場企業全部をいちいち見たところで1万社の話題です。では日本に300万社もあるありふれた法人の格付けや信用情報調査はどんな具合になっているかご存知でしょうか。
前会計年度(2005年4月~2006年3月)の売上高は706,247,953円(前期比95.9%増)となりました。 前期決算時の予測で示した通り過去最高の売上で着地したわけです。 このように当社の業績予測が正確なのは、システムプロジェクトの平均的な資金回収期間が約1年なので、当社財務には1年後の業績を概ね見通せてしまうという特性があるためです。
他方、当期純利益については2002年3月期に記録した過去最高額にはわずかに届きませんでした。 その理由としては労働分配率上昇(賞与支給など支払給与増)要因もありますが、最大の原因は納税要因(前期比158.6%増)です。 当社は創業以来黒字基調で累損がなく、取り崩し可能な在庫もない単純な業態で、評価損が出るような固定資産も連結対象会社もありませんから、売上増はストレートに利益増そして納税額増につながります。このため租税負担率は実に47.4%に達しています(利益の半分が納税になるという意味です)。