コラム

52才が日本を支配する

今の50代、年金はもらえるか? 50代半ばのみなさん。グッドニュースです。みなさんは大変な幸運の持ち主。日本の支配者なのです。信じられませんか? 以下ではその理由を説明しましょう。 2012年2月5日 – 東京 みなさんの上の世代を見ますと、元公務員や元会社員の高齢者は共済年金や厚生年金をもらって旅行三昧。元自営業の方は年金も少なくてちょっと可哀そうですが、それでも安い医療費の恩恵を受けてます。世代間で十分な所得移転がされてるからこそこんな生活が出来るのですね。 一方、日本はこれから人口も減少し経済が縮小すると言われています。今の年金制度を続けるならば、今まで以上に働き盛り世代に年金保険料を負担してもらわなければなりません。財政危機が起ころうと起こるまいと、年金を十分くれなければ困ります。しかし次の図の通り、今や再分配政策のおかげで働き盛り世代も生活困窮しているのが現実です。老人ほど得をするシルバーデモクラシーはいつまで続くのでしょうか。いつか働き盛り世代を支持する政治家が現れて、「老人のみなさんに渡す年金はありません」と言い出すんじゃないでしょうか。不安ですか?実は心配無用なのです。少なくとも政治的には。 再分配による貧困削減効果 [出所] “財政・社会保障の持続可能性に関する「経済分析 ワーキング・グループ」中間報告” 内閣府 2011年10月27日 中位投票者定理とは何か(退屈な方は読み飛ばしてください) 年金、社会保障。それは世代間で対立する政治課題。その行方を考える時に役立つ理論があります。中位投票者定理。Wikipediaの説明は難解ですから、私が代わりに頑張って説明致しましょう。 年金は年を取らねばもらえません。早く多く年金を支給するほど高齢者が得になり、若者が損する仕組みになっています。ここで定数1の選挙区に二人の候補者が立候補しました。候補者A「年金をもっと充実します」。候補者B「現役世代の年金保険料負担を減らします」。もし他に争点がないならば高齢者ほど候補者Aに投票するはず。そうなりますと投票者全員が年齢順に一列に並べば、ちょうど真ん中の人(これを中位数と言います)がAとBのどちらの候補者に投票したか見るだけで選挙結果がわかります。だから選挙の出口調査も超簡単。9,999人の有権者がいる選挙区ならば年齢がちょうど5,000番目の人がどちらに投票したか調べればよい。それどころか投票するまでもなく5,000番目の人の意見を聞くだけで選挙結果を予想できる。これが中位投票者定理です。 端的に言ってしまえば、世代間で対立する単純なケースでは、年齢順で真ん中の人(中位数)の意見がそのまま反映される。それ以外の誰が喚こうが騒ごうが関係ありません。 中位投票者定理: 投票結果を左右するのは真ん中の人の意見のみ 若者や働き盛り世代の意見など無視してOk ご存知の通り、衆議院議員総選挙は定数480名の小選挙区比例代表並立制。選挙区数300で議員定数300名の小選挙区、および選挙区数11で議員定数180名の比例ブロックからなっています。 国勢調査のデータを使って選挙区毎の有権者年齢の頻度分布(ヒストグラム)を調べてみました。これが選挙区をひとつひとつ確認するなかなか大変な作業でありました。その結果を次に示します。有権者の中位数は52.3才。つまり20-40代の有権者がどんなに喚こうが叫ぼうが、50代以上の有権者にとってはまったく関係ないのです。しかも高齢化のおかげで中位数はますますこれから上がることでしょう。 大都市近郊や地方中堅都市に注目、過疎地域に住むのは避けよう 先のヒストグラムを見ると、選挙区毎に結構ばらついてることに気がつきます。どこに住めば最強の有権者と言えるのでしょうか。そこで全300小選挙区についてひとつひとつ中位数年齢を調べてみました。これがわざわざExcelマクロ関数を作るような大変な作業でありました。地図をクリックすると拡大して表示されます。 よく見れば大都市近郊や地方中堅都市に50代有権者の楽園が広がっています。若すぎる地域に住めば働き盛り世代の目が冷たいでしょう。高齢者ばかりの地域ではいつまでも貴方が地域のために働かねばなりません。これからは地域最強の有権者になる、その意気でいきましょう! 閑話休題… 有権者の年齢中位数がずっと若い世代にあった時代ならば年金・社会保障費の削減を前向きに議論出来たかもしれません。しかし今や引退を意識し始める50代半ば以降に決定権があるのです。だから一人一票の原則がある限り、年金・社会保障費の削減はできないか、出来ても too little too late に終わるのです。 仮に一人一票原則を修正し、未成年者を持つ親に代理投票させることにより、20才未満を含む全人口を対象とした意思決定を模倣したとしましょう。いわゆるドメイン投票方式(デーメニ投票法とも言います)です。それでも中位数は45才。恐るべし少子高齢化。 衰退スパイラルは始まったばかり よく日本の財政危機が話題にのぼります。国債暴落や超円安を囃す人もいます。ではそんな危機が起こるのでしょうか?そのときに年金はもらえなくなってしまうのでしょうか? 財政危機が起こりそうだから年金・社会保障費を削減し、増税(すなわち働き盛り世代からの徴収)できたとします。そして財政危機はひとまず回避されたとしましょう。しかし上で説明したように日本を支配しているのは50代半ば以上の世代です。民主主義がある限り、それでも年金は財政を危険にするほど支払われるでしょう。すると働き盛り世代への負担はさらに増します。稼げる人材は流出し潜在成長率が低下します。そして財政危機を再び繰り返す... これはスパイラル的過程です。この過程は年齢中位数が低下するまで数十年間続く。あるいは我々が知っている形の民主主義が姿を消し、強権的な政治が行われるまで。それとも外部要因による特需(過去の歴史では主に戦争)が発生するその日まで。これが人口オーナス効果なのです。 国勢調査の確認から300小選挙区の色塗りまでの作業は大変な大変な作業でありました。はっきり言って休日がまるまる潰れました。この図をコピーしても構いませんが、その際にはぜひ当社あてに「色塗り頑張ったね」メールを頂けると嬉しいです。ここまで長文におつきあい頂きありがとうございました。

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生活空間における放射線量マップ

2011年5月25日 – 東京 東京圏内の代表的な公園の放射線量マップです。大人(地上高1m)と子供(地上高50cm)を意識して測定しました。地図をクリックすると別画面が開き、さらにマーカーをクリックすれば各地点の写真と放射線量を確かめられます。全般的な理解に関しては「IAEA報告書(2006)抄訳: チェルノブイリ原発事故による環境への影響とその修復」をご参照くだされば幸いです。 履歴 2011年5月26日 第1版 シンガポール植物園、砧公園、皇居、水元公園を調査 2011年5月28日 第2版 葛西臨海公園、舎人公園、別所沼公園、石神井公園、井の頭公園、洗足池を調査 2011年6月2日 第3版 図の見方および諸注意に図表を追加 目次 諸注意等 シンガポール植物園 – 2011年5月22日 砧公園:東京都世田谷区 – 2011年5月24日 皇居:東京都千代田区 – 2011年5月25日 水元公園:東京都葛飾区 – 2011年5月25日 葛西臨海公園:東京都江戸川区 – 2011年5月26日 舎人公園:東京都足立区 – 2011年5月26日 別所沼公園:埼玉県さいたま市 – 2011年5月26日 石神井公園:東京都練馬区 – 2011年5月27日 井の頭公園:東京都武蔵野市・三鷹市 – 2011年5月27日 洗足池:東京都大田区 – 2011年5月27日 図の見方および諸注意 同一地点について地上高1mと50cmの空間線量を測定しました。地上高1mは大人、50cmは子供の生活空間を念頭において設定したものです。一般に政府自治体等の測定はさらに高い位置で測定したデータが多いため、本資料の線量の方が高く出る傾向にあるはずです。 計測値は加工を加えない生のデータそのものです。不可避の自然放射線による変動を含みます。 自然放射線の世界平均は0.27μSv/h(=2.4mSv/y)、福島原発事故以前の日本平均(1988年10月推定値)が0.16μSv/h(=1.4mSv/y)です。自然放射線の内訳を見ますと、外部被ばく量については世界平均が0.10μSv/h、典型的には0.06-0.18μSv/hの範囲にあります。 出所: IAEAチェルノブイリ報告書 図5.1より時間線量に換算。日本の自然放射線量については「放射線科学センター資料 – 自然放射線の量」などをご参照ください。なお、放射線科学センター資料43ページの全国の自然放射線量は大気からの吸入による内部被ばくを含んでいません。このため日本全体で0.99mSv/yといった低い数値になっています。同センター資料の図の出典は「放射線科学」Vol.32 No.4 1989です。ご注意ください。 […]

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IAEA報告書(2006)抄訳: チェルノブイリ原発事故による環境への影響とその修復

2011年5月20日 – 東京 概要 本稿はIAEA(国際原子力機関)によるチェルノブイリ原子力発電所事故に関する報告書、”Environmental consequences of the Chernobyl accident and their remediation,” IAEA, Vienna (2006) の抄訳です。 履歴 2011年5月20日 第1版 2011年5月24日 第2版 簡易放射線測定器によるホットスポット調査を追加。 [追記] 簡易放射線測定器によるホットスポット調査はこちらのリンクに移動しました。 目次 第1章 要約 [解説] 訳出しておりません。 第2章 はじめに [解説] 訳出しておりません。 第3章 放射能による環境汚染 3.1 放射性物質の放出と蓄積 [解説] チェルノブイリと福島第一原子力発電所事故の両事故を比較できます。 3.2 都市環境 [解説] おすすめ。都市環境のどこが危ないのか解説されています。 3.3 農地環境 [解説] おすすめ。牛乳が汚染される過程が解説されています。 3.4 森林環境 [解説] キノコが汚染されること、森林の汚染は長期化すること、それだけ知っておけば読み飛ばしても構わないと思います。 3.5 水環境 [解説] […]

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2009年を振り返り2010年を考える

2009年12月24日 – 東京 – 思えば2008年は大変な年でありました。 “総統は金融危機に大変お怒りのようです” 2009年も大変ではありましたが2008年に比べれば一息ついた年でありました。 “An FT Alphaville Review of 2009″ 私にとって2009年はついに夕刊購読をやめた年です。時間をかけて読む価値がないので日経朝刊も斜め読みに変わりました。日常の情報ソースは WSJ と FT の電子版、それに Podcast の英語メディアと blog になりました。 iPhone と BlackBerry が手放せません。自ら出向いて得たもの以外の日本語情報を信じなくなった年でもあります。私にとって重要なファイナンスやテクノロジーの分野では信頼できる日本語情報が手に入りません。今や9割を英語情報から得ています。きっと第一線でご活躍の皆様も似たり寄ったりではないでしょうか。 改めて目を開けば、金融など実体経済の影にすぎません。世界を変えるのは今でもテクノロジーです。geek な目で21世紀最初の10年間を見たならばまったく異なる世界が見えてきます。 “2000s Decade Recap – Business and Technology” 私は日本国在住の日本人です。だからこそギリシャよりも日本のソブリンリスクの方がよほど気になっております。日本のダメな部分を放っておけば2010年が大変な年になる可能性がある。 2010年、個々人のレベルでは Japanese 属性を減じて Tech 属性へとリスク分散を図る行動が重要となるでしょう。マクロのレベルでは Laffer curve を意識したオペレーション、すなわち日本国内では人気がないと思いますが、周回遅れのレーガノミクスが重要と考えています。そしてその見通しが暗いならば2010年は我々もいよいよ capital flight を始める年でありましょう。  

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衝撃の写真

2009年2月18日 – 東京 – 2009年2月にニューヨーク出張した折、主な金融機関の写真を撮ってみました。現在進行中の金融危機を考えれば、資料映像として貴重なものになる可能性があると考えたからです。 Lehman Brothersの元本社 ポールソン前財務長官に見捨てられ(?)、2008年9月15日にChapter11申請、英Barclaysに買収された Google Map Times SquareにあるMorgan Stanley本社 投資銀行から業態転換、2008年9月21日に金融持株会社に移行、三菱UFJフィナンシャル・グループが資本面で支援中 Google Map Park AvenueにあるUBSのNY本社 スイス政府が資本注入と不良債権買い取りで経営支援中 Google Map Citibank本社が入居するシティグループセンタービル 米政府から資本注入と損失の肩代わりをしてもらった Google Map Park AvenueにあるJPモルガン・チェースの本部ビル Google Map One Chase Manhattan Plaza 今も”CHASE”のロゴが残る Google Map NY連銀 住友からゴールドマンへ私が派遣されていた1989年当時、ここに呼ばれて「影響力を及ぼしてないか!?」と審問を受けた思い出がある Google Map ニューヨーク証券取引所 Google Map HSBC 比較的健全(?)な英銀であり今や世界最大規模 Google Map Banco Santander 2008年10月に米Sovereign Bancorpの買収を発表して米本土初の外銀資本によるリテールバンキング事業を開始、そこまでは良かったものの2008年12月に明らかになったマドフ元NASDAQ会長による詐欺事件に巻き込まれてしまう Bank of America 2008年9月にメリルリンチの救済合併を発表した当時は拍手喝采を受けた同行も今や自らが政府救済の対象になり、今や同行CEOであるKenneth […]

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財務の健全性諸比率について

2007年5月 – 東京 – 製造業における流動比率は中小企業で120%台、大企業でも130%台が平均です(経済産業省:商工業実態基本調査)。当社のように900%を超える企業はきわめて珍しい存在と言えるでしょう。有利子負債比率が0%ということは、銀行に行く理由は預金取引と貸金庫取引程度という意味です。固定資産比率は一般に長期固定される設備投資に見合う数値です(=もしもそうでなかったらそれは財テク企業)。優良大企業であっても固定資産比率は容易に100%を超えます(=固定資産比率100%超とは他人資本で賄われる借金体質)。それが当社は固定資産比率が事実上ゼロ。 ということは、設備機械がほとんど要らない業態であるとともに、自社ビル等の固定資産あるいは塩漬けになっている投機性資産が存在しないことを意味します。当社の90%に迫る自己資本比率も、中小企業が20%台、大企業が40%程度が製造業の平均にすぎないことを考えますと明らかに高水準です。 このように財務分析的な健全性は自慢できるとしても、経営の巧拙の観点から見れば異なる評価、厳しい評価になります。すなわち、健全性指標が良いのはいいが、良すぎるのは企業として投資を通じた将来の利益向上努力を怠っている、石橋を叩いて渡り過ぎている、という批判です。無論、もし当社が上場していれば間違いなく株主から、「経営的に冒険してもっと稼げ」、「過剰な手元流動性を減らして経常経費節減につながる固定資産を持て」、「それもできないならば配当性向を高めよ」、などと言われるでしょう。そうならないのは、当社は非公開会社で「当社の株主=働き盛りの主力従業員」であり、非株主の従業員も情報サービス業平均を遙かに上回る高給取り(=労働分配率が高い)なので、従業員の意思(=利益追求の前に安全性を選好して雇用を安定させたい)が株主の意思になるためです。 毎年毎年、信用情報調査会社のデータベースが更新される度に、ベンチャーキャピタル各社の営業の方が当社に接触して来られます。おそらくこの決算概要を一番熱心にお読みになるであろうその種の営業の方々に申し上げておきますが、財務内容が示す通り、また当社役員が元は某メガバンクの市場部門に長く勤めた者であることからご想像できるかと思いますが、仮に上場したければ我々は何年も前にさっさとしているわけです。現在の財務内容は言わば確信犯的にこのような内容に誘導しているのであり、したがって当社が外部の投資事業組合から株主を迎える可能性はまったくございません。また、無理な経営拡大策を弄して上場を狙う意図もありません。あくまで自然体が一番。赤字が出れば出せばよいしそれならば非上場の方が気楽だし、高成長が何年も続きそうで上場に見合うのであればその時に上場すればよい、大体年商数億円程度で簡単に上場させるような今のマーケットの方がおかしい、こんな風に考えています。

2007 コラム

新BIS規制 (Basel II) が始まる

2007年5月 – 東京 – 私がこの原稿を書いている場所は、英ICBIの金融カンファレンス”Risk Capital 2007″(*1: ICBI Risk Capital 2007)が行われているホテルです。このカンファレンスは民間主催とはいえバーゼル銀行監督委員会議長も講演し、世界各国の金融機関やコンサルタントが集まります。おかげで規制当局と民間との良いコミュニケーションの場になっているようです。こうした場は金融機関の本音が飛び出して面白いものです。その中から興味深いテーマをひとつご紹介したいと思います。 今年度以降いわゆる新BIS規制(Basel II)が各国で実施されます。この規制導入によって、金融機関が持つ資産の信用度に応じて必要自己資本が変動するようになります(下図)。 Basel II 導入で EC (Economic Capital) 管理の重要性が増す ドイツ銀のプレゼンによればその変動幅は実に15%になるのだとか。改めて言われてみると非常に大きく感じませんか。 Basel IIが導入された後、金融機関はこれから4種類の自己資本を意識しなければなりません。すなわち、(1)時価総額、(2)会計上の自己資本、(3)BIS規制上の必要自己資本、(4)内部モデルで計算する自己資本、の4つです。(3)と(4)が異なる理由は、Basel II自身は真のリスク量を反映していないというのが市場参加者のコンセンサスであり、規制当局もBIS規制の第2の柱(Pillar II、金融機関の自己管理と監督上の検証)として暗黙のうちにそれを認めているので、各金融機関はBIS規制用とは別の内部基準に従ってリスク管理を行っているからです(*2: 悩ましき Pillar II & III)。ちなみに、(3)に比べると(4)は遙かに小さくなるのが普通で、シティバンクのプレゼンなどは真のリスク量対比で見ればBIS規制上の必要自己資本は4倍も過大であると主張していました(*3: BIS規制上の必要自己資本は過大か)。 それでBasel II導入後は、(3)の許容度を決め、(4)を計算してビジネスユニット別に配分する仕事が新たに発生します。この職務権限が明確ではなかったので、ドイツ銀行の場合は従来のALM委員会を廃止し、新たにEC(Economic Capital)配分に関する全権を担う委員会Capital and Risk Comitteeを新設したのだそうです(下図)。 ALCO廃止とLEMGの新設 ドイツ銀行の説明によれば、融資でとったポジションは日次で勘定をLEMG(Loan Exporsure Management Group)に移管するとのこと。LEMGはCRCが定める枠に応じて市場でヘッジするなり外すなりに責任を持つのです。銀行業に携わったことのある方ならば説明を要しないと思いますが、この種の理想論には明らかな欠点があり(*4: ドイツ銀行方式は正しいか)、しかも時期が悪い(*5: CROの大切さ)。それでもなお、我が国では1990年代に導入が進んだスプレッドバンキングがまたもや時代遅れになりつつある点に注意を払うべきです。 すなわち、銀行の取締役会・経営会議の役割が変わるということ。従来であれば先のグラフに示した通り必要自己資本額など大して変るものではありません。だから、3か月に1回程度ALM委員会を開いて形式的なEC配分を行い、銀行の経営陣は「適当に」リミットを追認していればよかった。極論すれば経営会議の場で経営判断してもらう必要はない。だからトップに人材を得なくても何とかなったのです。 ところがBasel IIが適用になるとECが大きく変動する。余ったECをどこに配分するか(どこに貸すか)。不足するECをどこから回収するか。あるいは収益を犠牲にして外したりプロテクトを買うのか。そうした経営判断を上にしてもらわねばなりません。だから市場感覚を持ち「任期中にポジションを張る」覚悟を決めた経営陣を持たない銀行はとても不幸になりそう。景気変動の1サイクルが終わってみれば、上に人を得たライバル行に業績面で遠く引き離され、株価も下がり、買収の標的になってしまった。そんな想像も現実化しそうです。 ところでBasel IIが導入されて困るかと言えば、開き直った金融機関経営者にとっては逆に朗報もあります。Basel IIフレームワークに従いリスクアセット額の上限付近で運用する金融機関ポートフォリオにおいて何らかの外的要因(景気変動)が格付け低下を生じたならば、(リスク資本を消費しない)高格付け先への貸し出しを増やすのは構わないが、(リスク資本を消費する)低格付け先への貸し出しは回収すべきである、と読めます。景気変動が原因であろうとなかろうと、総貸出量と貸出先配分の問題は外挿シナリオさえ与えたならば機械的に算出される。そこに恣意性はありません。だからこそ理論上はバブル崩壊時にされたような「不動産融資批判」や「貸し渋り批判」などとんでもないわけで、それはマクロ問題=当局の問題であり、民間金融機関はバブルが起きたら一緒に浮かれないとダメであります。そしてバブル崩壊を読んだらさっさと外すか貸出回収しないといけません。そうしなければ、先に記したとおりライバル行に業績面で引き離され、株価も下がり、買収の標的になってしまうかもしれない。ですから、再びバブルが起きたら「バブルへGO」(*6: 次のバブル&バブル崩壊は政策当局発になる?)。 実にわかりやすいと思われませんか。近年流行のCPMもこの方向に育てねばならないのでしょう(*7: CDSレバレッジの恐怖)。 *1 ICBI […]

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グリッドコンピューティングの経済学

2007年5月 – 東京 – あなたが金融機関のシステムプロジェクトの責任者で「グリッドコンピューティングを導入しよう!」とシステム業者さんを集めたとします。すると、バラ色の話をこれでもかと言うほど営業マンやコンサルタントから聞かされて有頂天になること請け合いです。なぜならば、学術研究のグリッドコンピューティングや、http://setiathome.berkeley.edu/のような不特定多数の参加によるシステムとは違って、セキュリティが優先する民間企業ビジネスにおけるグリッドコンピューティングは閉鎖されたネットワーク内で行われるのであり、大抵は大量のブレードサーバの導入につながるからです。考えても見てください。「今期販売計画XXX台ブレード売って来い!」と言われたメーカの営業マンを。彼らの目の前には数千万円から数十億円の商談がぶら下がっている!一商談で数百台売れてしまうんですよ。社内表彰モノではないですか。 そこでこのコラムでは、IBMとかHPとかガートナーが絶対書けない(社命により書いてはいけないのかもしれない)話題を扱います。すなわち、グリッドコンピューティングを導入するにあたって本当に知っておかねばならない知識です。 システム屋がグリッドコンピューティングを好む理由 グリッドコンピューティングが最新技術?とんでもない。並列処理の話題、分散処理の話題はそれこそコンピュータの創生期からある話題、周期的にブーム化する商談です(前回ブームは記憶にないかもしれませんが10年以上も昔)。それでは今回はなぜ注目されているのか、その理由を理解するためにまず次の図をご覧ください。 Intel製CPUのクロック周波数の変遷(単位:MHz、対数目盛) この図を見れば2004年付近を最後にしてCPUの処理能力向上が止まっているのがわかると思います。新しいパソコンを買っても何だか以前に買い替えたようなスピードアップ感がなくなったと感じませんか。その原因の多くはCPUの処理能力が頭打ちになったためで、そのまた背景には物理学的理由と経済学的理由の両方があります。重要なことは、今立ちはだかっている技術的壁は巨大で、おそらく今後何年も(10年以上かもしれない)この性能頭打ち状態が続きそうだということです。詳しい理由は別の論文をご覧ください(例えば、W.W.ギブス, “マルチコアチップ”, 日経サイエンス2005年2月号, p.98)。 つまり性能を目玉にしている限り、コンピュータの買い替えを促せないことを意味します。それで米Intel社をはじめとするCPU製造メーカーはチップ内並列処理「マルチコア」に走り、システムメーカーはたくさんサーバーを繋げば速くなると言って「スケールアウト」という新語を発明したのです。このスケールアウトをカッコよくしたのが「グリッドコンピューティング」と思えば間違いありません(なお学術系グリッドの場合はインターコネクト技術の発展をグリッドブームの理由とするかもしれないが金融系とは別世界の話)。 スケールアウトをうまく使えば大変経済的なシステムが生まれます。次の図をご覧ください。 CPUクロック周波数別・メモリ量別の標準的なサーバー価格 [出所] 2007年6月における、64ビット版Windows, 73GB x 4 HDD を搭載した2CPUサーバの市中価格、当社調べ この図が示すのは、サーバ機の価格はある規模以上になると急激に上昇するという事実です。サーバ機の価格に関する限りCPU単体の影響は軽微で、支配要因はCPU数と搭載メモリ量。この原稿を書いている現在ではCPU数にして2CPU(ソケット)を超えたり、メモリ量にして16GBを超えると、突如価格が跳ね上がります。つまり性能対価格比から見れば2CPU(現時点では8コア)16GBメモリ機がお買い得(その理由にはCPU=メモリ間インターフェイス問題とDRAM市場サイクルが関係しますが本題とは関係ありませんので割愛します)。SunやHPの巨大なサーバを買うよりも(=スケールアップ)、この2CPU機をたくさんつないで使う方が(=スケールアウト)、絶対賢いと思いませんか。 ところが話はそんなに単純ではありません。忘れているポイントを2つ指摘しておきましょう。 第1の問題は、そんな並列ハードウェアに対応するソフトウェアを誰が書くのか。 2005年頃に「ソフトウェアにおけるフリーランチ」として専門家の間で話題になりました。 詳細な理由は、“The Free Lunch Is Over: A Fundamental Turn Toward Concurrency in Software By Herb Sutter” (Herb Sutter氏は斯界ではD.E.Knuth教授並みに著名な方で現在は米Microsoft社のコンサルタント) に説明されています。きちんと動作する並列処理ソフトウェアを書くのはとても難しい。これが任天堂のWiiやマイクロソフトのXbox360に比べて、ソニーのゲーム機PS3(マルチコアCPUを使っている)対応のゲームが出揃わないひとつの理由です。価格ばかりがソニーのゲーム機戦略失敗の理由ではありません。 第2の問題は、グリッドコンピューティングシステムは故障する、ということ。 故障しやすさを表す用語に、平均故障間隔(MTBF)、平均故障時間(MTTF)、というのがあり、メーカーのカタログを見ておりますととてつもない数字が書いてあります。例えばMTTFが100万時間とか。それでは「114年に1回しか故障しないのか!」と思った方にはマシンルームで作業しているエンジニアが真相を語ってくれるでしょう。現実は次の図の通りです。 米Google社における利用年毎のハードディスク平均故障率 [出所] Eduardo Pinheiro, Wolf-Dietrich Weber, and Luiz […]

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エンジニアの2007年問題

2007年5月 – 東京 – 2007年問題と言えば「団塊の世代」退職に伴ってノウハウを持った方が職場からいなくなってしまうという意味で使われます。が、ここでは理工系職場の世界が如何にすごいことになっているのか、大学生のデータで示そうと思います。 このコラムをお読みになる方がいかなる年代に属するのかわかりませんので、退屈かもしれませんがまずは基本的な内容から整理していきます。最初に次の図をご覧ください。 18歳人口と高校卒業年別の大学入学志願者数・入学者数・入試倍率 [出所] 文部科学省「学校基本調査」 大学の「みかけの入試倍率」は、年代別に見ると5倍から9倍に至るまで大きく変化しています。入試倍率が上がる理由は4つあります。すなわち、1)複数受験する人が増えた、2)受験人口が増大した、3)入学定員が減少した、4)受験先の人気が高まった、です。 図を見ますと、複数受験が可能であった時期とそうではない時期とでは大きく入試倍率が異なります。例えば中曽根政権下で共通一次試験を改革し併願可能とした1987年がそれです。ただし、複数受験が可能というのは、見かけの入試倍率を押し上げますが本質的な入試倍率を上げることにはなりません。入学辞退者が続出するからです。また入試科目の数などは、確かに受験生にとっては大変かもしれませんが、本質的な難しさとは何ら関係がありません。 そこで、「みかけの入試倍率」ではなく、本当の入試難易度を測るために「潜在入試倍率」というものを定義してみます。潜在入試倍率とは、18歳人口を大学入学者数で割った数値のことで、仮に18歳になった人すべてが大学入学を希望したとすれば大学の入試倍率がいくらになるのかを示すものです。 こうしてみますと、1991年以降どんどん入試が簡単になってきたことがわかります。1990年の約4倍から最近は2倍あたりまで低下するという超楽勝ぶり。そう考えると最初のベビーブーム世代は入試倍率6倍ですから苦労してますね。そして入試倍率と反比例する形で大学生の質が低下したと理解すれば、同じ大学を出てはいても「昔の京大工学部化学科はこんなではなかった」、と仰る退職間際のオジサンの優秀さも理解できるというものです。なお、最初から大学入試に参加しないという意味でのこの間の普通科高校進学率も大学入試に影響を与えてはおりますが、その種の問題は図で示した1970年以降に関する限り軽微です(図が煩雑になるため数字は省略しました)。 ではなぜ1991年以降の入試が全体的に簡単になってきたのか。それは、2)受験人口と、3)入学定員の、両方が関係しています。先に受験人口から見ますと、18歳人口が減少に転じたのは1993年からであり、今では2割方大学入試の競争相手がいなくなった状況にあります。これは大きい。 大学入学定員については次の図をご覧ください。 学部別の大学入学者数 [出所] 文部科学省「学校基本調査」 趨勢的に大学入学定員は増えていますが、特に1985年を境にして各段に増員されたことがわかります。なんと実に2倍です。これら2つの要因が大学入試がやさしくなった理由であり、大学生、ひいては大学卒業生の質低下をもたらしたと考えれば間違ってないと思います。もちろん、教員の質が低下したとか、学習指導要領がいけないとか世間ではいろいろと言われておりますけれども、やはり人口要因は無視できない。いわゆる「分数が出来ない大学生」問題の最大の容疑者はこれでしょう。 さて、今度は学部別に見ていきましょう。 グラフの中で理工系と定義したのは、理学部、工学部、理工学部の合計です。また経済系とは、経済学部、商学部、経営学部の合計です。図が示すのは1997年あたりを境にして、理工系、経済系ともに入学定員が緩やかな減少傾向にあることです。それはなぜかと言えば、特に土木系や農業系のような不人気学科が、「環境…」など接頭辞を付けた洗練された名称に看板替えしたからです。経済系も同じで「経営…」とか「国際…」などが流行しています。 こうした看板替えの流行自体は本題とは関係ありません。ここでは、経済系と理工系の入学定員はほぼ同じであること、そしてどちらにも分類できない学部がどんどん増えたおかげで大学入学定員は1980年代初の2倍近くまで増えたことを覚えておいてください。 次に学部別の大学入試志願者数を見ることにします。 学部別の大学入学志願者数 [出所] 文部科学省「学校基本調査」 1986年を境にして一気に理工系離れが進んだことが明らかです。「でも1991年以降は経済系人気も落ちて最近は理工系離れも元に戻ってるじゃないか」と思われた方、早とちりです。次の図を見てください。 定員割れ学校数の推移(私立大学) [出所] 日本私立学校振興・共済事業団「私立大学・短期大学等入学志願動向」 なんと今や私立大学の4割が定員割れする時代。大学入試自体の容易化が進行したおかげで、1990年代の後半になると「誰でも入学できる」とは言わないにしても全学部で入試倍率の低下傾向がみられるというのが真相。 もちろん上位校は別であろうけれども、母集団全体で見れば学生のクオリティに関わらず難易度の高い学部が消えつつあるというのが実態に近いのです(なおこの何年か医薬系に人気が集まる「医学部シフト」要因があるが、統計上は医薬系ブームも昨年度から沈静化傾向にある模様)。 次の図のように入試倍率に換算してみますと理工系離れはさらに露骨になります。 学部別の大学入試倍率 [出所] 文部科学省「学校基本調査」 1990年代前半の経済系人気がさらによくわかります。逆に言えば、人気の受験漫画”ドラゴン桜”で「東大を目指すならば理Ⅰを狙えば簡単だ」と言っているのは本当だったのです(先日最終回になり主人公の教え子のひとりは東大理Ⅰに見事合格)。 私は1986年に大学を卒業したので当時の状況はよく覚えています。経済系がサークルで遊びまくっている一方で(本当かどうかはともかくとしてそう言われていた)、理工系は授業と実験に勤しまなければならない(これはかなり真実)。会社訪問(私が出た学科の場合は今ほどではないが売り手市場で当時は4年生の春に就活をやりました)で日立の研究所(山奥)に勤める先輩(人工知能を研究中)を訪ねれば「お前ここで年に何人自殺してるか知ってるか」と驚かされ、NECでは「ここで難しいソフトウェアやマイクロプロセッサ作ったって(=当時NECはVシリーズという名前の米Intel社製互換CPUを独自開発し売っていた)グループ企業の中では評価されないんだ」と愚痴を聞き、「メーカーは男ばかりだから彼女いるなら離すなよ」と妙なアドバイスをされ(府中や三田ばかりでなく日立市でも同じ話になった)、富士通は「電機労連系=給料低い」しDRAMばかりで(異端な人は相手にされない雰囲気)面白くなさそうで(課長昇進試験のことは当時から有名だった)皆敬遠しているから最初から行かず、日本IBMに行けば「Think」のロゴ(当時のキャッチコピー)入りクリアフォルダをもらえて嬉しかったが六本木も箱崎も所詮営業の会社だとわかってがっかり「行くなら博士とってから大和の基礎研だよね」と学生どうし話し合い(私の学科から就職する人は修士か博士をとって研究職が普通であって学士で卒業するのは少数派)、リコーの中央研究所は「将来なくなってしまうかも」と思って敬遠し(あの放射状の机は当時からあって中央研究所は結局今でも存在している)、ソニーにも多少心が動いたが(一緒にスキーに行ったら開発中のビデオカメラもちろん未発売品をゲレンデに持ってきた先輩がいたほど自由な雰囲気)でも「危ない」と思った。変わったところではヤマハ(昔はパソコンも作っていたしMIDIは当時よりも古い)は就職した先輩も会社も素晴らしかったが浜松は遠すぎ、警察庁(知られざる東大情報科学科卒業生の有力就職先で映画「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」に登場する監視モニターシステムC.A.R.A.S.のモデルか)に行った先輩がまぶしく見えたが「所詮は技官」と思い...といった状況。これだけ正直者のリクルーター(ネットが普及する以前の理工系の人は一般に正直で小心者だった)が教えてくれれば相当な覚悟がない限りどんなに勧誘されようがメーカーには行きたくなくなる。それで「自分には大学院よりも異分野で経験積んだ方が向いていそうだ」と考えたのが就職活動を始めたきっかけだったと思い直し(私の場合はリクルートG8ビルでのアルバイト=リクルート社員の方ならわかると思うが館内放送があってバンザイする奴です、が原体験となって学科では珍しい就活マニアになった)、「君、いい加減にして大学院に入りなさい」と言う先生の反対(今では大学院に行った方が良かったのかもと思い直して感謝してますが当時どれほど反対されたか何人の先生から反対されたかご想像ください!)を押し切って銀行や商社を会社訪問してみれば(商社と生保をそれぞれ2社訪問してみたが私が優秀でないせいか拘束されなかった)、体育会系と国家公務員受験者を優遇する雰囲気ありありで嫌だったが(その翌年リクルーターとして真相を知ることになる)、世間知らずなので拘束にあって面倒になりそのまま就職を決めてしまった(このあたりが文系の皆さんと違うところ)。そうしたら文科系の友人から「お前よくあんなきついところにしたな」と言われて(当時は同じようにひどい言われ方をした証券会社が別にあった)、「しまった」と思いシュンとなったものの(もう遅い)、「日立にするくらいならいいや」と自分を納得させた(その頃の私は就活は押さえとし最終的に大学院進学と天秤にかけるという甘い作戦を考えていたから多少不満な先で内定してもあきらめがついた)。それで大学4年生の夏休みに入り大学院の入試勉強も面倒になり、内定先の銀行で時々集まりがあって供される食事が「学生控室の冷蔵庫にある赤札堂(弥生門から徒歩10分)で買った安物ワインプラスチックカップ入りとは大きな違いだなあ」と学士卒業&就職に決めてしまう。...回想すればこんな感じでした。当時はバブルに向かって駆け上がろうという時期であり、「マル金、マル貧(ビ)」が流行語になっているくらい拝金志向が強く、「三高」(=高身長高学歴高収入)と言って女性にもてるかどうかも(これから就職する20代としては重要な要素)収入次第と思われていました。いきおい、理工系卒メーカー入社と言えば同情されていた。逆に理工系で東京電力(彼が手配してくれたおかげでこれだけたくさん会社訪問できたし電中研の話も聞けた)や東京ガス(それで浜松町ものぞいてみました)を選んだ人は自信に満ち溢れて見えました。 もちろん20年後の今から振り返れば、当時は青臭い考え方をしたものだと思うし、多くの予想ははずれています。が、これだけの逆風下で1990年代前半以降に理工系を選んだ方は大したものだと証言できるでしょう。いずれにしても優秀な学生は理工系から経済系に流れた。それも奔流となって。それは銀行が理系大量採用を開始し、共通一次試験が国立大学併願可能に変更された1988年から起きた。一見すれば18歳人口減と大学入学定員増によって隠蔽されてはいるけれど現在もそのトレンドは続いている。 さて、最後の図「大学院修士課程の入学者数」をご覧ください。 大学院修士課程の入学者数 [出所] 文部科学省「学校基本調査」 国の大学院生倍増化計画を受けて、先に見た大学の比ではない変化が大学院に起きた。今や1980年代前半の実に4倍の人員が大学院に流れこみ、院生の質が大幅に劣化しているという事実。逆に言えばかっての修士や博士のクオリティは素晴らしいものだったのかも。 俗にマネーロンダリングにかけて「学歴ロンダリング」という言葉があって、東大に入るのは難しくても東大の大学院に入るのは簡単だから、最終学歴をカッコよくしたければ大学院を目指しなさいという意味で使います。企業の人事部がそんな計略に引っ掛かるはずがなく、まるでワインのビンテージ物のように「君学士を取った大学はどちら?」「学士取得年はいつ?」と聞いては修士や博士をふるいにかけている。そんな現実は報道されないで、やれ「博士課程出身者を企業は評価すべきだ」などという馬鹿な意見が横行しているわけです。 まとめましょう。 国内の同じ大学から定期採用している企業の場合、学生全般の質低下が進んだために若年層の質が近年大きく低下したと考えられる。 この傾向は理工系、そして大学院から定期採用する企業の場合、より強く影響が現われていると思われる。 経済系を中心に採用し、配置転換等で採用人員の目標シフトを誘導できた企業は、上記変化の悪影響を一応回避できている可能性がある。 このコラムは日本の技術系の現在および将来像というテーマでしたが、様々な推論を引き出すことが可能であると思います。例えば「加熱する中学受験って意味あるの」のような推論ですが本題からはずれるのでやめておきます。 以下はもう少し踏み込んだ本筋の仮説です。 […]

コラム

企業信用情報データベースの現実

2006年5月 – 東京 – 「会社の格付けって何のことだか知ってますか?」と皆様にお聞きすれば、学生さんだって「そんなの知ってるよ」と答えが返ってくるくらい一般化してしまった信用格付け。ですが、実は本当のところが結構知られていないのではないかと思います。これが大企業の格付けの話題であれば日本経済新聞を読んでわかった気になっているかもしれませんが、そんなのは日本で数百社しか存在しないし、上場企業全部をいちいち見たところで1万社の話題です。では日本に300万社もあるありふれた法人の格付けや信用情報調査はどんな具合になっているかご存知でしょうか。

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