1999年6月28日 – 東京 – 「新BIS規制対応と内部モデル(下)」 ポートフォリオベース信用モデルの効用と限界
要旨
IS市中協議案の一つのポイントは信用リスク計量化の内部モデルである。一般的論調では、「米銀は理論的に進んでいる、邦銀も早く追いつかないと」で片づけられかねない話題だが、その議論の実態がリスク管理機能の向上をめざすというよりも、むしろ思惑渦巻く産業規格論争に近いことは、意外にも知られていない。
現在唯一有効なクレジットメトリクス
最初に頭に入れていただきたいのは、BIS規制を念頭に「ポートフォリオベースの信用リスクモデル」を指す場合、知っておく必要のあるモデルはたった三つしかない(図表2)。しかも、本当に利用可能という意味ではただ一つ、リスク・メトリクス・グループ社(RMG社、JPモルガン社から分離独立したモデル専門会社)のクレジットメトリックスを覚えておけばよい。よく混乱するのは、デフォルト率推定モデル、クレジットデリバティブの評価モデル、ポテンシャルエクスポージャーの計算モデル、社債評価モデルなども、広く「信用リスク計量化モデル」と呼称されているためである。これらはBIS規制でいう内部モデルとは全く別物である。
もちろん、邦銀のモデルを含めてこれら以外にもモデルが多数存在する(注)。しかも、それらのうちのいくつかは図表2の各モデルよりも優れている。しかしながら、後述するように、内部モデル論争は一種の規格論争となっており、内容が優れているか否かは二の次になっている。真価がどうあろうと、国際舞台で無名なモデルは無視されているのが実情だ。
(注)我が国でマスコミ向けに発表があったモデルを列挙すれば以下の通り。
①1997年発表の日本興業銀行のモデル。
これはクレジットリスク・プラスと同じく保険数学のアプローチを採用しており、地銀協でも採用された。
②1998年春発表の住友銀行のモデル(=クレジットメトリックスの拡張型にあたる当社製品 CreditBrowser® の最初期バージョンのこと)。
多期間拡張、連鎖倒産の組込み、株式対応などが特徴。
③同時期発表のさくら銀行のモデル。
これはクレジットメトリックスの変種にあたる。
④1999年春発表(マスコミ向けは6月)のあさひ銀行のモデル。
これは個別与信から全体与信に至る結合確率計算においてフーリエ変換を用いる点が目新しい。
邦銀大手行においては、早いところで1980年代末頃から研究が開始されており、遅れた銀行も1990年代中期のVaRブームの最中には手をつけている。このため、未公表あるいはマスコミ向け未発表の成果を含めると1990年代初頭にはかなりの進捗が見られている。しかしながら、システム化および経営面への活用については、海外他行(JPモルガンなども含む)と同じで、まだまだ発展途上の段階にあるとみられる。
歴史的経緯からみれば、これら3つのモデルはどれ一つとして先駆性やオリジナリティのあるものではない。たとえば、クレジットメトリックスの直接の先輩格はKMV社のPortfolio Manager(1993年)である。KMVモデルは基本的に株式上場会社の計量化モデルであり、未上場会社向け債権を含む銀行ポートフォリオ管理に応用するには無理があった。このため邦銀発を含めて多数の改良案を生んだ。そのなかで最も有名なのがクレジットメトリックス(1997年4月)というわけだ。付言すれば、KMVモデルもクレジットメトリックスも、さらに歴史を溯れば株式を企業資産に対するコールオプションとして評価するマートン・モデル(1974年)が原点にある。
二番目のクレジットリスク・プラスは、クレジットメトリックスの名が売れた後に良いタイミングで発表された(1997年10月)。クレジットメトリックスに対する批判の一つとして大規模な計算を必要とする点が指摘されていたが、これを保険数学のテクニックを使って簡易なモデルに仕立て上げた点が受けたわけである。三番目のクレジット・ポートフォリオ・ビューは、同じタイミング(1997年秋)に計量経済モデルでも信用リスクの計算を行うように提案したものである。
それにもかかわらず、クレジットメトリックスが唯一有効であるとした理由は、他のモデルには明白な問題があるからである。クレジットリスク・プラスが仮定した保険数学は、カードローンや住宅ローンのように、①債権本数が膨大で、②しかも少数の債権に対する与信集中が起きていない、という条件下でしか有効に機能しない。邦銀ポートフォリオで問題になっているようなゼネコン向け巨額与信の焦げ付きなどがあれば、リスク量の過小評価になることを簡単に証明できてしまう(詳細については当社ホームページ http://www.numtech.co.jp/ 内のドキュメント「CreditBrowser® Version 2 規制対応を越えて」参照)。
それでもなお現在、下火傾向にあるとはいえクレジットリスク・プラスがまだ比較対象にされているのは、内部モデルを実際に使ったことのある経験者がまだまだ少ないためと思われる。クレジット・ポートフォリオ・ビューの計量経済学的アプローチは、誰でも最初に考えるもので、企業信用力の代理変数(proxy value)を何に求めるかという問題に帰着する。クレジットメトリックスのデザイナーも当然ながら気づかなかったはずはない。にも関わらず採用しなかった理由は計量経済学的アプローチに対する欠点(要するに当たらないということ)もまた広く知られた事実であったためであろう。逆に、計量経済学的要素をクレジットメトリックス型モデルのなかに取り込むことは容易なので、今後はそうしたハイブリッド型モデルも登場するだろう。
こうした事情から、最近の内部モデルに関する議論は、クレジットメトリックスのアプローチに強く染め上げられている。
内部モデルをめぐる三つの真実
以下、基本的な事実を三つ確認しよう。
第一に、真の信用リスク量など求めるのは不可能ということだ。市場リスクモデルですら一昨年以降の市場の混乱を予期し得ず、一部米銀が会社を身売りするほどの損失を招いた。ブラックマンデー、米金利急上昇、中南米危機、北欧危機、ERM崩壊、アジア危機、ロシア危機、そして現在の日本の金融混乱…ここ10年ほどを振り返ってもオプションモデルから金利裁定モデルに至るまで金融理論は死屍累々の様相を呈する。確かに改良はされてはいるものの、現時点で有効だとされるモデルが次にうまくいく保証はどこにもない。ましてや信用リスクは数年単位の話である。経済構造がその間に変わればモデルは当然破綻する。したがって、BIS規制でいう内部モデルはベストエフォート・ベースのモデルにならざるを得ない。バックテスティングの重要性が指摘されている。しかし、市場リスクモデル(第2次BIS規制)でも信用VaR(第3次BIS規制)でも、バックテスティングは恣意性を排除し客観性を保つための形式要件を整えるのが真の目的であって、これを使ってモデルの正しさを証明できると考えられているとすれば、危険な誤解だ。真の信用リスク量など誰にもわからない。だから、規制論議は証拠なき裁判のようになってしまうのである。
第二に、信用リスクにはリージョナルな要素が相当に含まれているということだ。これは市場リスクの延長線上で信用リスクを議論すると見失いがちなポイントである。市場性商品の場合、今日では大半の商品がグローバルに取引されており、アメリカで先行して試されたシステムに収斂しつつある。したがって、国際的に活動している銀行が抱える類の市場リスクならば、統一したモデルを使って計測し、相互に比較可能することも可能と考えられている。しかし、信用リスクの話題となればそうはいかない。異なる法域下では当然ながらデフォルトの意味、その後の挙動も異なる。いくらS&Pやムーディーズのシェアが大きいと言っても格付システムが通用するのは先進国の大企業だけに過ぎない。G10諸国間だけをみても、経済構造のあり方は大きく異なり、当然ながら相関考慮後の信用リスクの挙動もまた一定しない。そんななかにBISは統一基準を当てはめ、しかもそれがG10諸国以外にも応用可能としているわけである。意義は認めるにしても遠大な構想だ。
第三に、各国・各金融機関が同じスタート台から議論しているわけではないことだ。アメリカであれば市場の透明度がかなり高いので、モデルに織り込み可能な情報量(格付け、スプレッド、相関など)が格段に多く、かつ信頼性も高い。他方、それ以外の国々では信用市場の効率性はかなり見劣りする。透明度が低いのは、粉飾決算を引き起こすなど会計制度整備の遅れもあるが、そもそも不確実性を伴った社会構造、たとえば地域性、企業系列、歴史的経緯、地縁・血縁、宗教、民族問題、にも起因している。歴史の短い国からみれば想像もつかないかもしれないが、例えば日本ですら債権回収における民事介入暴力の可能性を心配しなければならないのが実態なのである。そこへ数学モデルを当て嵌めようとすれば、当然ながら社会的透明度の低い国では困難に陥ってしまう。「内部モデル対応の遅れ」を非難したところで、相手にモデルを作る能力がないことを批判しているのか、所在国の社会構造の歪みを批判しているのか、わからなくなってくる。
当局の能力を超えた監督手法?
これだけ問題があれば慎重論に耳を傾けても良さそうなものなのに、なぜこれほどまでに内部モデル導入を求める声が強いのだろうか。その理由は三つある。
第一に、内部モデル採用行と非採用行に二分するよう当局を説得できれば、結果として採用行はより有利なルールでビジネスを展開できることだ。実際、FRB関係者のコメントからも、徐々にその方向へと説得されつつあるようにうかがえる。
第二に、内部モデルを使えば当該金融機関の評価が上がる。内部モデルのデファクトスタンダードを作ったのであればさらに評点は高い。評価が上がれば、営業上も「進んだ金融機関」とのイメージがついてまわり国際競争上も得策だ(RAROCを広めたバンカーストラストを思い出されたい)。格付け機関への受けもよくなる。さらに内部モデルは、モデルの外販による利益まで生んでいる。内部モデルにはF1レースの広告のような効果がある。
第三に、信用リスク計量化モデルは、コインの裏表のようにクレジットデリバティブのプライシングモデルにつながっている。クレジットデリバティブの販売上、最大の障害といえば、価格の不透明性、そして流動性のなさだ。仮に信用リスクを数量化できるとすれば、そこには巨大なクレジットデリバティブの市場が広がっている。これは魅力的だ。その昔、アメリカで「ラスト(鉄錆)ベルトからサン(太陽)ベルトへ」の掛け声のもと、米中央部の鉄鋼業・自動車産業地域から、西海岸の新興産業地域へと資金需要シフトに合わせてモーゲージ債ビジネスが勃興したように、信用内容の地域格差を利用したクレジットデリバティブ・ビジネスの可能性を皆が夢みている。BISの内部モデルはその地ならしともなる。レギュラトリー・アービトラージ市場(自己資本比率を改善するための金融手法)も魅力的だ。
こうした理由があるからこそ、ISDA(国際スワップ・ディーラーズ協会)などの業界団体、Risk誌などの著名業界誌の中では、内部モデルを早期に導入すべしの論調で足並みが揃っている。ここで慎重論をいおうものならば「意気地なし」との批判を浴びることは間違いない。しかし、今の議論の進め方はやはり不健全に思える。たとえば第2次BIS規制を考えてみよう。確かに内部モデルは必要であったと思う。しかし結果をみればわかる通り、規制側の能力を超えた監督手法が導入され、しかも規制側がモデルのチェックをするのではなく、外部の監査法人にその業務を委ねてしまった。おかげで、金融機関側はVaRモデルを好き勝手につくり、それを金融機関ほど専門性が高くない監査法人がチェックしている。確かに金融機関内の見通しはよくなったが、国籍も性格も異なる各金融機関の間で客観性のある自己資本規制が課されているかどうかは神のみぞ知るところである。第2次BIS規制の成果を手放しで評価する者が今いるとすれば、これは相当な楽天家といわざるをえない。つまり、慎重な議論を尽くさずして高度な内部モデルを許可しても、内部モデルを導入した金融機関が規制からの尻抜けを図るだけの結果に終わる懸念が強い。内部モデルの導入基準を定めたところで同じことがいえる。ましてコンセンサスのないなかで強引に国際基準を作っても各国の裁量行政に終わるだろう。これではBIS規制の空洞化だ。
米銀優位・邦銀劣後の誤解
邦銀上位行の多くが内部モデルを使った信用VaRを試算しているにも関わらず、最近でさえ「邦銀は内部モデルさえ自社開発出来ない」などと名だたる経済紙から勘違いな批判をされたりする。ホームページやアニュアルレポートで大々的に宣伝している銀行もあるのに気の毒である。その点、同情はするものの、純朴な理論モデルの研究者の方々には誠に申し訳ないが、「いつかは真理を知る者が日の目を見る」などという考え方は甘すぎる。この種のモデル論議は、科学的真理の探求というよりも、ビデオテープや携帯電話の規格論争に近いことを理解しなければならない。「規格を制する者が市場を制する」といえばわかりやすいだろうか。
そこで、この問題への対処について、思いつく限りのアドバイスを試みたい。
第一に、事実を正確に認識しよう。内部モデルはとてもむずかしい。計算量は市場VaRの比ではない。安易にシステムを作れば、計算に何日もかかるようなモデルになってしまう。データ整備も大変だ。全世界に適用するとなればより大変である。これは人手の問題というよりも、不確実性のある世の中をどのようにモデル化するのかという設問に、答えがないところに起因する。経営のスピードについていくのも大変だ。与信は、ただでさえ市場性商品に比べて規格化されず地域性・個別性が強い。国際間で合併した巨大銀行など、この先にどうモデルを組み立てるつもりかと先行きが危ぶまれる。
そんな理由から、米銀も内部管理の実態は驚くほど進んでいないようだ。内部モデル実用化への坂道は、途中から急坂になっている感じであり、先進行も皆そこで団子状態にあるようにみえる。米銀における信用リスクモデルの実務適用の実態はマネーセンターバンクでさえ、マイヤーFRB理事の最近のコメント(1999年6月3日)にあるように「失望(disappointing)」させられるのが実状である。進んでいるといわれていた金融機関も、「当社開発のモデルが一番」と宣伝しているのはモデル開発部署だけ、現業部門に聞けば「あれはまだまだです」との答えが返ってくる。商用システムにしても、実用レベルに達するものは海外では皆無だ(宣伝だけはすごいが)。
第二に、とはいえ内部モデルはやはり役に立つことを認識し、積極的に取り組もう。先に指摘したとおり、F1広告塔効果がある。銀行の名を冠したスポーツチームを作るより遥かに宣伝効果は高い。クレジットデリバティブの基礎技術としても有用である。内部モデルはリスクへの楯となる以上に武器にもなる。映画「ウォール街」ではないが、「欲望は正義である(greed is right)」は少なくともアングロサクソンの世界では正しいようだ。邦銀も儒教精神ばかりでなく、時には牙のあるところをみせて欲しい。大体、経営改善計画に描いた高水準のROEを求めるならば、攻撃的なデリバティブしか方法はないではないか。そして、金融機関にとっては「規制空洞化」という究極のBIS規制防衛プランでもある。
さらにいえば、クレジットメトリックス程度の初歩的技術水準ならば、規制対応用の規格と言えるかもしれない。その上で、各国各様の事情を反映し、欠点を修正していけば漸進的に信用リスクの計量化精度を向上することができるだろう(図表3)。内部モデルは、経営行動を決める旗振りの定量化の話でもある。ライバル銀行が妙な融資行動をしたり、クレジットデリバティブを使ったりしたとき、合理的評価ができないとしたら…これは困る。また、自行データを内部モデルで計量化すれば、まことに生々しく与信劣化の実態がチャート化される。つまり、経営判断の透明化の効果は少なくともある。
第三に、もっと戦略的に振る舞おう。残念ながら、今から内部モデル導入に対する慎重論を唱えたところで、大勢はひっくり返せまい。ならば、レースの終わりに勝ち組に残る努力をしよう。邦銀は、口下手で、小手先の対応に終始しがちだ。おかげで、最優秀の部類に属する人的リソースを活用できないままに不胎化させてしまっている。邦銀は、リスク管理部門に優秀なスタッフを揃え、銀行によってはクレジットメトリックス登場前から粛々と内部モデルを構築していたりするが、その成果を武器には活かせていない。
内部モデル論争は科学的研究のような高次元の話題ではない。モデルを主張する銀行も結構いい加減であったりする。むしろ必要なのはプロパガンダと隙のない理論武装。アングロサクソンの血を輸血したようなチーム(無能なスタッフは首にし、必要ならば外部の人材を取り込む)を組成し、邦銀・外銀を問わず戦略的にタッグを組む。メディアを操作し、Ph.D.を金で買い、相手がやることならば何でもやる。残念ながら君子を気取っても国際間の金融競争には勝ち残れない。
まとめ
本稿では、①今回のBIS規制見直しが個別金融機関のリスク資本適正化につながる一方、②金融仲介機能を減退させ間接金融優位国においてはマクロ的な不況を招く可能性を指摘した。また、③内部モデルの議論にしても規制に用いるにはまだまだ熟成が不十分であることを論じた。これに対し我が国金融機関の目指す道として、④少数の国際基準行への業界再編が必要であること、⑤金融の諸制度を見直し、米国並みの資産最適化あるいはレギュラトリー・アービトラージが可能な市場に変革すること、⑥人材や経営戦略面ではアングロサクソン化を目指し、より戦闘的な企業集団に変身すべきことを説いた。
経済のグローバル化は避け難いトレンドだ。この状況では、経営戦略上の不確実性は減少している。換言すれば、誤った経営判断をすれば、非常に早いタイミングで市場からの退出を促す圧力がかかっているということだ。経営上の選択肢は狭まっている。第3次BIS規制に対しても適切な対応を願う次第である。