2007年5月 – 東京 – 私がこの原稿を書いている場所は、英ICBIの金融カンファレンス”Risk Capital 2007″(*1: ICBI Risk Capital 2007)が行われているホテルです。このカンファレンスは民間主催とはいえバーゼル銀行監督委員会議長も講演し、世界各国の金融機関やコンサルタントが集まります。おかげで規制当局と民間との良いコミュニケーションの場になっているようです。こうした場は金融機関の本音が飛び出して面白いものです。その中から興味深いテーマをひとつご紹介したいと思います。
今年度以降いわゆる新BIS規制(Basel II)が各国で実施されます。この規制導入によって、金融機関が持つ資産の信用度に応じて必要自己資本が変動するようになります(下図)。
ドイツ銀のプレゼンによればその変動幅は実に15%になるのだとか。改めて言われてみると非常に大きく感じませんか。
Basel IIが導入された後、金融機関はこれから4種類の自己資本を意識しなければなりません。すなわち、(1)時価総額、(2)会計上の自己資本、(3)BIS規制上の必要自己資本、(4)内部モデルで計算する自己資本、の4つです。(3)と(4)が異なる理由は、Basel II自身は真のリスク量を反映していないというのが市場参加者のコンセンサスであり、規制当局もBIS規制の第2の柱(Pillar II、金融機関の自己管理と監督上の検証)として暗黙のうちにそれを認めているので、各金融機関はBIS規制用とは別の内部基準に従ってリスク管理を行っているからです(*2: 悩ましき Pillar II & III)。ちなみに、(3)に比べると(4)は遙かに小さくなるのが普通で、シティバンクのプレゼンなどは真のリスク量対比で見ればBIS規制上の必要自己資本は4倍も過大であると主張していました(*3: BIS規制上の必要自己資本は過大か)。
それでBasel II導入後は、(3)の許容度を決め、(4)を計算してビジネスユニット別に配分する仕事が新たに発生します。この職務権限が明確ではなかったので、ドイツ銀行の場合は従来のALM委員会を廃止し、新たにEC(Economic Capital)配分に関する全権を担う委員会Capital and Risk Comitteeを新設したのだそうです(下図)。
ドイツ銀行の説明によれば、融資でとったポジションは日次で勘定をLEMG(Loan Exporsure Management Group)に移管するとのこと。LEMGはCRCが定める枠に応じて市場でヘッジするなり外すなりに責任を持つのです。銀行業に携わったことのある方ならば説明を要しないと思いますが、この種の理想論には明らかな欠点があり(*4: ドイツ銀行方式は正しいか)、しかも時期が悪い(*5: CROの大切さ)。それでもなお、我が国では1990年代に導入が進んだスプレッドバンキングがまたもや時代遅れになりつつある点に注意を払うべきです。
すなわち、銀行の取締役会・経営会議の役割が変わるということ。従来であれば先のグラフに示した通り必要自己資本額など大して変るものではありません。だから、3か月に1回程度ALM委員会を開いて形式的なEC配分を行い、銀行の経営陣は「適当に」リミットを追認していればよかった。極論すれば経営会議の場で経営判断してもらう必要はない。だからトップに人材を得なくても何とかなったのです。
ところがBasel IIが適用になるとECが大きく変動する。余ったECをどこに配分するか(どこに貸すか)。不足するECをどこから回収するか。あるいは収益を犠牲にして外したりプロテクトを買うのか。そうした経営判断を上にしてもらわねばなりません。だから市場感覚を持ち「任期中にポジションを張る」覚悟を決めた経営陣を持たない銀行はとても不幸になりそう。景気変動の1サイクルが終わってみれば、上に人を得たライバル行に業績面で遠く引き離され、株価も下がり、買収の標的になってしまった。そんな想像も現実化しそうです。
ところでBasel IIが導入されて困るかと言えば、開き直った金融機関経営者にとっては逆に朗報もあります。Basel IIフレームワークに従いリスクアセット額の上限付近で運用する金融機関ポートフォリオにおいて何らかの外的要因(景気変動)が格付け低下を生じたならば、(リスク資本を消費しない)高格付け先への貸し出しを増やすのは構わないが、(リスク資本を消費する)低格付け先への貸し出しは回収すべきである、と読めます。景気変動が原因であろうとなかろうと、総貸出量と貸出先配分の問題は外挿シナリオさえ与えたならば機械的に算出される。そこに恣意性はありません。だからこそ理論上はバブル崩壊時にされたような「不動産融資批判」や「貸し渋り批判」などとんでもないわけで、それはマクロ問題=当局の問題であり、民間金融機関はバブルが起きたら一緒に浮かれないとダメであります。そしてバブル崩壊を読んだらさっさと外すか貸出回収しないといけません。そうしなければ、先に記したとおりライバル行に業績面で引き離され、株価も下がり、買収の標的になってしまうかもしれない。ですから、再びバブルが起きたら「バブルへGO」(*6: 次のバブル&バブル崩壊は政策当局発になる?)。 実にわかりやすいと思われませんか。近年流行のCPMもこの方向に育てねばならないのでしょう(*7: CDSレバレッジの恐怖)。
*1 ICBI Risk Capital 2007
私は1990年に当時勤めていた銀行から派遣されて以来、この種の集まりに不定期に参加しています。リスク管理をテーマとするカンファレンスの参加者数は、Basel II対応も峠を越したせいでしょうか、2~3年前まで漸次減少していました。それが近年は再び回復傾向にあります。今年の”Risk Capital 2007″は2007年6月25日から29日までパリで開催され、約300名が集まりました。
とはいえ目新しい話題があるわけではなく、リスク管理への関心が技術論から経営論へと移ったのが参加者数回復の理由と思います。特に数式が並ぶセッションは常連参加者にしてみれば「そんなのもうわかったよ」という感じで人気薄。他方、リスク削減の手法面や組織の話題では、もちろん斬新な解決法などないのですが、苦労している様子を聞きたくて参加者が集まります。
この種のカンファレンスでは、どこへ行っても日本人の存在感は希薄であり、大変な損をしていると思います。このセミナーの場合も日本人は大半が常連の方々で大手金融機関から2グループ、その他は主にコンサル系中心に大半が初参加と思われる方数名、それに私たちで全部です。それなのに日本以外のアジア系は近年非常に増えていて今や一大勢力と言えるでしょう。日本の金融機関の場合、この種のカンファレンスへの参加は人事部的な「ご褒美」の意味合いにとられてしまい、理解ある上司に恵まれないとなかなか仕事と認識してもらえないのでしょうか。それでも特に毎年6-7月と12月に各社が開催するイベントに関しては、たとえ2回に1回ははずれだとしても、金融機関で仕事をしていく限りにおいては本当に参加する価値があります。経費申請に際して上司の方を説得する必要のある金融機関の若手の皆さん、お困りでしたらならばご相談ください。私からも銀行員時代にひねり出した経費申請のアイデアなどをご支援申し上げます。
*2 悩ましき Pillar II & III
Basel IIの中でもPillar IIにはいろいろと問題が多いようです。というのも当局裁量によって評価されるので、各国の金融機関の間に不公平が生じることになりかねないからです(いわゆるlevel playing field問題)。特にEU加盟各国の場合は、ロンドン市場とニューヨーク市場という強敵が域外にあって東京市場よりも市場間障壁が薄い。いきおい、規制当局の側も英FSAの態度や US GAAP との整合性を睨んで、自国への利益誘導を真剣に考えているようにみえます。
反対に日本の場合は、その種の戦略性は感じられないし、民間側から当局に文句を言う雰囲気も今のところないと思います。現時点で政府の一部で「金融業の国益を真剣に考えよう」としているかの報道もありますが、やはり日本は島国で役人が強烈に強い国、「決まったことだから」で淡々と規制対応が進んでいるようです。
ちなみにバーゼル銀行監督委員会議長が真剣に参加者を「説得」していましたが、Pillar IIIの方は存在自体が忘れられがち。口さがない民間側にしてみればBasel II自体が失敗作だと思っている人もいるせいでしょうか。ですが、Pillar III、すなわちディスクロージャーの問題はこれからホットなテーマになると思うのです。
*3 BIS規制上の必要自己資本は過大か
シティバンクの人の主張を簡単にまとめれば次の通り。レーティングの低下と CDSスプレッド拡大は同時に起こりがち。だから、 Basel II が想定する完全相関の市場というのは実際には想像しがたい。また、クレジット物にも流動性があり、マーケットで売り逃げできる以上、タイムホライズン 1年は長すぎる。
そういった主張なんですが、トレーディング勘定に Basel II流の IDRを導入したから起きた不満であって必ずしも市場全体で納得されている話ではない。この話をしたシティバンクの人も参加者から「それでサブプライムはどうなるの」と突っ込まれ、答えに窮していました。私自身もこのプレゼンは大袈裟だと思う。他にもデルファイや Fordと GMの投資不適格等級格下げ事件そしてアマランスなどなど、突っ込みどころ満載です。
*4 ドイツ銀行方式は正しいか
このドイツ銀行型組織をとった場合、 LEMGに人材を集中配分し、支店権限は矮小化して歩合制営業でも置いておけばよいという発想になります。証券系やコーポレートバンキングならばそうした考え方も成立するかもしれません。しかし、 SME(中小企業取引)や個人相手ではそうはいかないでしょう。利ザヤ確保はどうしても現場の RMが鍵であるし、リスク管理上も保全を気にせずに取引などしたら大変なことになります。その端的な例としては、貸し渋り批判をなだめるべく設立され、スコアリング型融資に過剰依存した自治体銀行が近年ありました。
ドイツ銀行がここまでドラスティックな改革を行った背景には、同行が以前買収した米バンカーストラストの存在が大きいのではないかと思います。米バンカーストラストは、やはり頭でっかちな戦略に傾斜して、結局市場から評価されず経営も悪化して買収されてしまった経緯があります。
このように書きますと何も良いことがなさそうですが、発想自体は悪くないと思います。大切なのは、コンサルが持ってくるような見栄えのよい極端すぎる経営改革ではなくて、実態を踏まえた最適化策の選択です。日本の普通銀行の場合、面白くないかもしれませんが、それは中庸策なのでしょう。
*5 CROの大切さ
この種の CPM的発想にとってなぜ今が悪い時期かといえば、時代が求めているのはリスクアセット拡大であり、 1990年代後半から 2000年頃のようなリスクアセット縮小期とは 180度方向が違うからです。今から CPMを導入すれば長期的にはよいとしても短期的には利益圧縮につながる。 ROEが悪化して喜ぶ経営者がいるだろうか。ここを食い止めてパレート均衡点に持っていく機構、それが Pillar III。だからこそ CPMを進めると同時に Pillar IIIが大切だと考えるのです。
「会計上は利益増でも、 Pillar III的には最悪」といった経営が可能なのですから、これからの CROの役割は CFO並みに大切になるでしょう。特に運用パフォーマンスやリスク管理の話題は経営陣への説明が難しい。組織は人でもっているのでここは大事です。さらに言いますと、いい加減なアナリストや経済新聞の記者・論説委員などは早期に潰しておいた方がよい。政治から新聞論調など外野もロクなのがいないとなれば、どうなるか。マスコミ発の「バブル&失われた20年 バージョン 2.0」でも起こればはた迷惑です。
とはいえ、志や理想論だけでは経営できないのも事実。景気拡大期の場合、金融機関にとっての理論上のリスクリターン最適化点は、間抜けなマスコミ論調的には「収益力に乏しい」と評価される位置にくるはず。なぜなら商業銀行業務など、もともと期待収益率が知れているから。ゆえにここは、規制当局からくる要件を満たしつつも、(デマゴーグであろうがなかろうが)新聞論調的に心地よく感じる程度にモラルハザードを犯す一手ではないでしょうか。すなわちBIS規制にはありませんが、レピュテーショナルリスクまで考慮した最適化点を探る必要があるのです。
*6: 次のバブル&バブル崩壊は政策当局発になる?
規制につきあって来られた方であれば説明不要と思いますが、 BIS自己資本比率規制の弱点はいわゆるシクリカリティ、つまり景気変動と必要自己資本の正相関効果です。簡単に言えば、 BIS規制に従う限り景気拡大期には貸出が伸び、景気後退期には貸出が縮小し、おかげで景気の山と谷が一段と深まってしまうということ。もう少し詳細な説明が必要であれば” VaR、 EaRシステムの現状と将来 (前編)”, 東京工業大学理財工学研究センター主催シンポジウム「信用リスク管理の実務と理論」の講演資料の 20ページをご参照ください。
ここでお勧めしたいのが映画「バブルへGO!!タイムマシンはドラム式」( 2007年、馬場康夫監督)です。この映画は、 1990年 4月に大蔵省が出したいわゆる不動産融資総量規制通達のおかげでバブルが崩壊し、日本経済は危機に陥り、国の借金は膨張する、格差社会が広がる(本当にバブル崩壊が原因?)、元長銀マン(元 LTCBの皆さん怒れ!)が広末涼子の借金取りにまで落ちぶれる、ドーハではサッカーまで負けてしまう、というストーリーです。この映画のストーリーが秀逸なのはバブル崩壊の真相を見事に言い当てている点。すなわち主演の広末涼子が叫んでいるように、「バブルは急に止めてはいけない」のであり、マクロ経済政策運営の失敗がバブル崩壊の真の原因。もちろん総量規制通達にすべての原因を帰するのはどうかと思うが、筋は悪くない。ここに当時のビッグコミックスピリッツが月刊(現在は週刊)化された 1981年から長期連載(題名気まぐれコンセプト)するなどバブルのエキスパートであろう製作者ホイチョイプロダクションズ、あるいはアドバイザーがいるのでしょうか、のカンの良さを感じます。近年の経済映画としては 2005年の米映画「エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?」よりもずっと良い出来だと思います。
バブル当時、適切なマクロ政策運営が為されていればと悔やまれる限りですが、なぜ政策誘導が失敗したのか。その理由のひとつが東京都立日比谷図書館にこもって当時の日本経済新聞を縮刷版で読むとわかります。経済界も浮かれてましたが、マスコミが煽ること煽ること。まるで財テクに走らない方が間抜けみたいな記事が並んでいます。それで手ぬるい金融引き締め策の最後にドーンと総量規制をやり、信用拡大が見事に逆回転を始める。そうなると今度は臆面もなく前言撤回して目先的な批判記事をずらりと並べる。惜しむらくは、公的資金投入などの信用補完策が特効薬であるとの指摘が早くから専門家からあったこと。しかし当時も(そして今も)、「新聞がおかしい」とは思ってはいても、マスコミは第四の権力、恐いので誰も文句が言えない。「新聞記者があなたの身辺を探ってますよ」と言われたら、身に覚えがあろうが無かろうが誰だって身がすくむからです。マスコミ的にはバブル崩壊の原因は、銀行の不動産融資とか、続く貸し渋りとか、住専問題。本来ならば、最初に、しかも一気にやっておかねばならなかった信用補完策も、「慎重に」とか「いかがなものか」式で社説やコメンテーターが批判する構図でありました。新聞世論なのかニュースステーション世論なのかわかりませんが、これでは物言えば唇寒しの状況だったのは想像に難くない。後から読めば「なんだこりゃ」という感じです。メディアに誘導されたシクリカリティがここに見られ、そして政策誘導の手詰まり感が理解できるはずです。あれほど日経の若手記者は優秀なのに、社内の話題に忙しすぎるのか、上に行くほど浮世離れしている様子を想像してしまう。当時の銀行員と同じで、当時の日経記者も上の暴走を止められなかったのではないか。だからこそ「日比谷図書館からバブルへGO!!」もぜひお勧めします。
なおバブル当時を知らなくて臨場感が湧かないという人には、 2000年春頃にはじけた ITバブル前後の新聞記事が代わりの事例になるでしょう。 ITバブルを知らない大学生には、 2006年 12月に警視庁に家宅捜索され経営破綻に至った近未来通信の広告が、その少し前の日経朝刊に載っているので一読するとよいでしょう。近未来通信さえ知らない中学生や高校生ならば、最近のセカンドライフ( Second Life)(インターネット内仮想現実空間)に関する一連の報道を読むとよい。だって近未来通信なんか自宅にモデムを置くというだけでネズミ講とまったく変わりのないプランが、全国紙の朝刊に堂々掲載されているんですよ。決して後講釈ではなくて、多少なりともインターネットを知っていれば当時の中学生だって怪しさ満点「絶対に近づいちゃダメ!」と思ったはず。なぜ誰も「おかしいよ」と言ってあげないんだろう。新聞社の判断なのか、背後に広告代理店の圧力があるのか、読者には確かめようがない。セカンドライフだって、新聞記事と現実のセカンドライフはかなり違う。企業CM、たとえば新聞社的には注目されているクルマの自動販売機なんて仮想現実世界ではほとんど無視されている(確かめたければNISSANで検索してテレポートしてみてください)。それをお抱えブログまで使って無理やり盛り上げるのは、ネットをよく知らない自動車会社の宣伝部長向けに、広告が欲しい広告代理店と新聞社が共謀して記事を書いた結果なのかもしれない。実際、ITバブル期にせよ、バブル崩壊期にせよ、少なからぬ読者は肩をすくめていたのだと思います。君子危うきに近寄らずですね。
それで Basel II施行後は銀行に責任を押しつけようにも制度上明らかに矛盾してしまう。現在の景気拡大が景気後退に転じた時、必要なのは個別銀行の経営努力ではなくて、適時適策なマクロ政策のみとなる。だから、今や国家公務員は不人気職種らしいが、我々は優秀な官僚と政策調整機構を持つべきである。俗に「言論界」とか「言論人」という言葉があるが、第二次世界大戦当時ならばともかく、今や新聞もネットを含む数あるメディアのひとつにすぎない。すぐに言論統制を持ち出すが、守るに値しないメディアの暴走は抑えねばならない(守るべきメディアも見究めねばならない)。評論家紛いの学者にも惑わされてはいけない。あの入門マクロ経済学の中谷巌氏や超シリーズの野口悠紀雄氏だって日本ファイナンス学会の池尾和人氏だって、継続して読んでみれば相当おかしな事を言っておられるのが実態なのですから。他方、その道の専門家やスタッフ職、特に実情に詳しい人々にはブログでも掲示板でもよいからもっと語ってもらう必要がある。
とはいえ世の中の変化は恐ろしいもので、最近は日本経済新聞を熱心に読む人が着実に減っているような気がします。私の周囲を眺めても、当社の筒井(住友銀行出身)が日経夕刊をやめて久しい。彼は朝刊も読むのもやめると言い出していながら朝日小学生新聞は読んでいるとのこと。そして日経ファンである私自身も最近では次のようになっている。まず日経の社説を読み飛ばすようになって何年にもなる(ただし日経の社説は読まないがコラムは読む)。冗談ではなく私が最初に読むのは最終面の新聞小説。稀に日経社説に目がとまっても(たいてい時間のある土曜日か日曜日)、「品格はないが雑誌『SPA!』や『R25』の方が分析は的確だな」などと思っており、電車の吊り広告に気になる記事を見つけて週刊SPA!をコンビニで買うことがある(これはAERAのような女性誌を買う時と同じくらいに気恥ずかしい)。創刊号から読んでいるニューズウィーク日本語版は、あまりに記事がトンデモなので(エンロン事件の最中に投資はアメリカに学べとやったり荻窪在住アメリカ人の妙な勘違いコラムがあるので通勤電車の中で読むのが恥ずかしくなった)、最近は遠ざかっている。経済ニュースはブルームバーグ(日本語版)かロイター(日本語版)が一番。特に海外ニュースは日経フィルタを通すと誤ると思う。たとえばアメリカのことが気になれば迷わず日本語フィルタをはずしてCNNを見に行く。特に、日経上層部には大変なアーミテージ(米政府高官)バイアスがかかっているとのもっぱらの噂なので、偏見に染まりたくないからロイターを先に読む。韓国と日本の間でもめた時はもちろん朝鮮日報も読んでいた。主要各紙をiGoogle(旧称Googleパーソナライズドホーム)にセット済み。社会面ならインターネットで見るから日経はたまにしか見ない。日経の科学系技術系記事は時々すごい誤記があるなど元からあてにしてないし、そもそも硬派ならばSCIENTIFIC AMERICAN.COM(高校生の時から雑誌ただし日本語の方を欠かさず読んでいる)とnature.com(こちらは読んでない)があり、軟派ならばスラッシュ・ドットやCNETがある。 IT系のいい加減な記事を読みたくてアットマーク・アイティとPC Watchをのぞくことがある。金融経済面もiGoogleにWSJでもFTでもBarronsでもFAZでも人民日報でも好きなのを入れられるので、朝刊を読む以前にネットから情報を得ている。 iiさえネット版がある(雑誌と同じではないがヘッジファンドの現状を知りたければ日経なんかやめてこちらを読むべき)。ブログもいくつか読んでいるが、仕事がらみは疲れるので最近気に入っているのは不動産業界の歩き方と金哲彦のLife Style Runningそれにデイリーポータル Z。いわゆるアルファブロガー物は一瞬花火のように良い記事が出て終わりなので、実は追っかけていない。日経紙面で評価してるのは「記者クラブという閉鎖空間の奥にある政治面だけかな」と考える。その政治面も時間がなければ(日経よりも政治家が意識していると言われる)TBS「みのもんたの朝ズバッ!」を見て済ますようになった。時間がなくても連載小説「世界を創った男 チンギス・ハン」は読んでいる(前の連載は話題性はともかく朝刊向けではなかった)。私も朝日小学生新聞と毎週土曜日の午後6時10分から始まるNHK週刊こどもニュース(番組は2010年に終了)を高く評価していて、子供視点でM&Aの意義や年金問題やイラク問題あるいは水俣病問題を解説する難しさには考えさせられる(本当に理解していなければ解説できない)。本の虫だし、仕事も練習(このところは月間走行距離250km、走った距離は裏切らない)も忙しくて時間がないからそれ以外のテレビはほとんど見てない。これだけのネット情報もiGoogleのおかげで一度にまとめて画面に出せるので、ひと頃よりはネットも巡回しなくなった。若手や新人に対しても最近は「日経を読め!」とは言わなくなった。代わりに「iGoogleにこれ入れておけ!」と新人指導する時代ではないかと思う。「パソコンはそのうちなくなるから」と言って妻をケータイに誘導している(iPhoneがそれであるかは別にして北米でここまで普及したところを見るとBlackBerry的なスマートフォンに置き換わると思うから)。思えば歴代のアップル製品(iMac, iPod, Intel Macなど)が出るたびに発売日当日に買っている。「月曜日の日経新聞みたい」と言っても意味がわかる人が少なくなった。週刊ダイヤモンドによれば「部数、広告収入の低迷受け日経金融新聞が廃刊を検討」らしい(同誌2007年4月28日/5月5日合併特大号)。そう言えばいつぞやは私自身も日経金融からの記事執筆依頼を断ってしまったし。あの日刊工業新聞(2003年に経営危機)と同じく日経産業新聞も事実上の全面広告新聞(俗に投げ込めば記事にしてくれると巷間囁かれている)だから先行きはどうなのだろう。広告の出稿状況はいかがなものだろうか。そう言えば最近「日経産業のあの記事読みました?」なんて話題は他社と話していても出ないし、皆読んでいるのか? この調子では日経BP社は素晴らしいとしても、日経本紙の方はいずれいらなくなる? 大銀行もとっくの昔に買収の標的になるような時代。多くの人々がネットをメディアに選び、市場の洗礼を受ければ米ウォールストリートジャーナルさえ買収されようかという時代に、社員株主制度を盾にして日本経済新聞共栄会の力で自由主義市場経済に対していつまで対抗できるのだろうか?? ...学校出たての社会人や50代の偉い方々や窓際族のことは知らないが、20-40代の働き盛りサラリーマンのメディア感覚は大体以上の通りではないのかと思います(そうでないとこれからの世の中生き残れない)。
だから日経紙面を開くとき私はそこに基本的な滅亡の預言を見る。メネ・メネ・テケル・ウパルシン。ロンドンナショナルギャラリーの絵に描かれた白く輝く文字のように。 X-dayが近ければ、次にバブルあるいはバブル崩壊が起きた時、紙媒体による妙な世論誘導まで意識する必要はないのかもしれない。そうなると日経はブロガーのひとつにまで後退して、本当にマクロ政策論議が百花繚乱、ネット上で紛糾する世の中がくるかもしれません。でも言論だけで世の中は維持できない。政策調整機構は重要です。
*7 CDSレバレッジの恐怖
今では抵抗感がなくなりましたが、国債に対するデリバティブ、つまり債券先物や債券オプションは原債券の何十倍ものロットで取引されています。元となった資産よりもデリバティブの方が市場としては遙かに大きいのです。
CDSも同じで、元の社債やローンプールよりも遙かに大きなデリバティブ市場が存在する。だからこそ債権流動化市場よりも CDS/ CLO/ CDO市場の方が遙かに大きく、遙かに収益性が高く、だからこそ金融機関にとってはおいしいのです。 CPM的に考えても、原資産市場が未発達であっても、ロットに関する限り CDSでのヘッジは有効性が期待できるはず。そこで問題となるのは規制が言うところのいわゆる「異常時のマーケット」です。
先のカンファレンスでもこの点に関してボソボソと歯切れ悪く指摘する人が何人もいました。マーケットとしては、国債と違って流動性に乏しい原資産の上に築かれ急速に発展した CDSマーケットのクラッシュはまさに未体験なので、仮に 1987年に起きたブラックマンデー型の巻き戻しが起きた時はどうなってしまうのでしょうか。それとも CDS、あるいはその原資産である CDOやローンプール自体の巻き戻しなんて起こらないのでしょうか。
とはいえこの種の恐れがあるからと言って「CDSヘッジは危ない」と申し上げたいわけではありません。歴史的にも「○×のデリバティブのデリバティブの...のデリバティブ」を作っていった果ての IO/ POあたりまでデリバティブをやると危ないといった経験が蓄積されて今日に至っている。そして同じく歴史が教える通り、デリバティブが機能するには原資産市場の発達と整備が不可欠である。それで、やりすぎのデリバティブは別にして、流動性が確保されたデリバティブは市場安定化に寄与する。 1987年10月19日の1日を追えばわかります。 CPMを有効に機能させるために CDSは不可欠。だからこそ CDSも、他のデリバティブと同じく、市場の洗礼を受けてヘッジ機能の有効性をこれから証明する必要があるとの思いが、市場参加者の間に存在するのでしょう。
そういえば 2007年は米映画「ウォール街」( 1987年)の続編が 20年ぶりに公開されるとか。この映画も今から楽しみです。