2005年5月 – 東京 – 今日の金融リスク管理はきわめてニッチな分野です。もちろん新聞や雑誌、金融論や経済学の先生に問えばリスクマネジメントは広く普遍的な分野だと答えることでしょう。しかし、メガバンクに匹敵するような金融資産の規模、複雑な取引形態を有する組織が世界にいくつあるかといえば、これは少ない上にますます集約化される傾向にあるのです。例外はヘッジファンドですが、ファンドに対する強力な規制(=リスク管理と統制)が仮に将来行われるとしても、それはかなり先になるでしょう。こんなわけで金融リスク管理を専門にする人々は非常に少ないのです。
金融リスク管理システムを構築する場合、理想的には金融機関自身がそのような専門家を擁していればよいのですが、大抵は経済的に引き合いませんし、専門家の処遇にも困り、専門家自身も身の振り方に困るので、単独開発はなかなか成功しません。ここが同じ専門家であってもより潰しのききやすい他分野とは異なるところです。そこで金融機関は外部に発注するのですが、発注先にも結構なリスクがあります。リスクマネジメントシステムを大きなシステムベンダーに開発依頼したとしましょう。特殊なリスクマネジメントシステムであればあるほど市場は小さいので、優秀なプロパーの人材を長く張り付けてはおけません。いきおい仕事は下請けや海外に回るので、もちろん能力が高いはずはなく、開発が難航するなり失敗するなりして幸福な結末は待っていないのです。今日ではVaRシステムを経験不足のシステムベンダーに委託開発すれば、どんなに立派なコンサルタントがつこうが、モデルリスクに頭から突入するようなものでしょう。
では専門的な企業(当社も含まれるでしょう)に頼めばよいかと言えば、これは見極めが難しいのです。事業者の立場から見るとリスクマネジメントシステムはプットオプションの売りに似ています。弁護士や医者のような専門職と同じでスキルさえあれば食べていけるものの、潜在市場が小さいので事業規模はいつか頭打ちになることを覚悟しなければなりません。
つまり、金融リスク管理の専門企業の能力は、まさに事業者がその製品を愛しているか否かにかかっていて、まるでNHKの人気番組「プロジェクトX」の世界を延々と続けるようなものなのです。ゆえに事業意欲(ケインズ言うところのアニマルスピリット)が旺盛で拡大指向の事業者は、潜在市場がより大きい異業種に転じたり、見栄えが良くなったところで身売りします。米Infinity(SUNGARDが買収)、加Algorithmics(Fitchが買収)、米FEA(Barraが買収)、米KMV(Moody’sが買収)など枚挙にいとまがありません。そこから先も質の高いサービスが提供されるか否かは「プロジェクトX」から「ビジネススクールの授業」の話題になります。買収した側も専門企業ならばサービスが残るかもしれませんが、大きなシステムベンダーやコンサルティング会社が買収するケースでは、事業売上が頭打ちとみられた時点で事業戦略の見直し=人員の再配置が行われます。つまり比較的短い期間で実質的にサービスは消滅してしまうのです。
金融リスク管理の専門企業に淘汰圧力がかかりやすい理由は以上の通りです。なお、私による上記解説を聞いて、「専門技術分野であれば当たり前ではないか」、「利益率が高いのになぜ事業を継続しないのか」、と不思議に思われるみなさん(特に製造業の方)がおられることと思います。以下の補足説明はそのような方のためのものです。
一口に「金融リスク管理の専門家」と述べましたが、この種の人々は金融機関の中でも高収益分野であるトレーディング分野に重なります。生涯クォンツやプログラマーとして他人に酷使されるような立場であれば別ですが、「金融リスク管理の専門家」として身を立てる者ならば、トレーダーとしての成功とリスクマネジメントビジネスとしての成功は多くの場合に人生における比較可能な選択肢です。
加えて、知人も(40歳になる前に引退を目指す)ファンドマネジャーやトレーダーであったりします。つまり周囲のビジネスに対する期待収益率が極端に高い。元はといえば、だからこそ製造業では満足できず、金融業に飛び込んできたのですから。先にいくつか社名を挙げましたが、みな出自は似ています。それでもなお金融リスク管理をビジネスで続けるとすれば、人生のどこかの時点で考え方を改めたのか(そういう虚しさを感じた元トレーダーは少なくありません)、あるいはもともと仕事が好きでたまらないかであり(そういう方も存在します)、資本の論理(金融マンならば叩き込まれます)によるものではありません。夢のある話ではありませんが、我々にしたところでバブル期に味わった空虚な経験があるからこそ今の心境にある、そのように整理できると思います。