2005年5月 – 東京 – 大学における金融工学に対する人気が急低下しています。金融機関の中でもクォンツは今ひとつ元気がありません。本項はそれにもかかわらず、金融工学の研究面の先行きが暗いわけでは決してないという話題です。
長年、市場取引や金融リスク管理に携わっていて感じるのは、実業界と学界との間にある著しいギャップです。例えば、
- 実業としてのデリバティブブームも去った1990年代末になって突如金融工学関連の講座が多数新設され、書店に金融工学関連の書籍が並ぶ。時を同じくして外資系デリバティブデスクでは大リストラ旋風が吹く。
- 信用リスク計測が金融当局のオフサイトモニタリングほかに活用されるなど、実運用段階に移ったのは1998年頃から。それが2001年にもなって、学界では信用リスクモデルが大きくとりあげられる。
- 1990年代の金融危機の記憶が未だ覚めやらないのに、「市場VaR計測を高度化するため、リスクファクターの分布推定にGARCHモデルを使おう」といった1994年ばりの主張をする学者が時々いる。
といった様子を眺めれば、学生でなくても「金融工学って駄目だな」と思うことでしょう。1980年代の内外金融機関で行われた研究の成果物が、今になって書籍化・論文化されています。正式な論文が(学界に)提出されていないからといって、実業界の先行研究が無視されていたりしますから、学者としてのモラルも地に落ちたと思われるのでしょう。私たちの位置から眺めても、実務家の多くは現在の学界を先端研究の場とは考えていないようです。経験豊富な金融ビジネスマンであればあるほど「金融工学」を金融商品の開発作業に欠かせない技術として評価する一方で、評価しているのは単なるテクニックだけであって学者が何か言っても門外漢の意見とみなしてしまうのが現実です。特に金融ビジネスマンの国内の大学論文に対する興味は薄く、大学を学生のリクルート先、社員研修先、あるいは引退後の再就職先としか考えていないように見えます。
ただ、だからといって、「今頃そんな研究やってて何の意味があるの」的な批判は本質からはずれていると思います。まず、すべての研究者にみられる問題ではないこと。長くこの分野で先駆的な研究をしておられる大先生やまじめな研究者もいるわけです。また、そもそも学界も民間もモラル面では大差ないこと。大学人も学業に殉じているわけではなく、生活がかかっているわけです。独立行政法人化を控えて大学は大変、教官陣もビジネススクールの営業マンをやらねばならない内情があります。大学人事は研究の質だけではなく、査読論文の数によって(時には査読論文本数の方がむしろ重要視されて)昇格が決まる世界ですから、独創性に乏しい営業マインドの入った論文、剽窃に近い論文、既知の話題を新発見のように扱う論文を書きたくなることもあるでしょう。つまり、私企業である銀行やマスコミに対して過度な「公共性」を訴えても仕方がないように、行政改革の流れの中でモラル面も実業界並みになった大学や政府系研究機関に文句を言っても仕方がないのであって、新しい状況に慣れていない世間の方が明治以来の学尊民卑思想をひきずっているだけだと思います。文句があれば「私学助成金は無駄遣い」とか、「TLOは民業圧迫」と批判する、あるいは知的所有権を侵害した研究者個人を相手に訴訟を起こすのが筋でしょう。そうでなければ電機業界他で公然と行われてきたように産学協同とか名目をつけて、政府補助金目当てのロビイングに大学や学者を利用すればよいと思います。そんな下世話な話題は学問領域全般にみられる傾向であって金融工学固有の問題ではありません。
むしろ深刻な問題は現在の金融工学が実態面から大きく遊離していることです。例として、金融工学における主たるテーマのひとつ、ポートフォリオのリスク計測技術について比較してみましょう(下図)。
研究室レベルと実用レベルでは斯くも異なることがわかるでしょうか。これが実業界の人が「論文など読む気になれない」主な理由です。実務経験のある人々が著した書物*1を読めばわかるように、今日ある実用レベルのリスク計測技術には次の要素技術が関わっており、学界でよく議論されている金融工学の守備範囲とは大きく乖離しています。
- 解析的な意味での基礎理論。これは現在でも、マーコビッツ[1952]*2、シャープ[1964]*3、リントナー[1965]*4、の業績が基本になっています。この分野で先行する米国でも後追いの日本でも、実践した上で有効と証明されないような理論はゴミ箱行きです。
- コンピュータ上の実装手法と線形代数。現在の金融工学ではほとんど採り上げられないか、採り上げられていても「間違い」の多いテーマです。今日では、民間レベルの高度な技術力がなければ、実用レベルのシステムを構築できません。
- リスク管理の方法論そのもの、あるいは運用と管理にまつわる問題。経営学の領域です。これも現在の金融工学ではほとんど採り上げられません。
現在の金融工学の欠陥のひとつは、基礎となる数学理論、なかでも解析的な方面、微積分学や確率論に依った手技に偏り過ぎである点です。基礎数学関連の話題が一通り出回った現在では、数学よりもマクロ経済学、会計、情報科学の領域に属するテーマへのニーズの方が高いのです。特に日本の場合はもともと理学部・工学部系から出発した経緯があってこの方面を担う人材が金融工学研究者の中に乏しいのは根本的な問題であり、他の方面からのフィードバックも十分とは考えられず、学界の自発的なパラダイム転換は容易ではありません。私たちを含めた実業界に属する者も、成果物を大学など研究機関に流せばコピーされて別人の業績になるのが落ちですから、学業に対しては協力的とは言えません。
しかし、見方を変えれば、これはある意味でチャンスではないでしょうか。確かにコンピュータ上の実装は熟練した人材が乏しい金融工学系学問機関では難しいかもしれない。それならば、出来の悪いプログラムを大学院生に書かせるのはやめて、堂々と科研費を請求して大学外に外注すればよいでしょう。市場競争下にある民間レベルには及ばないにしても、実用レベルの立派な研究をするには足りると思います。本格的な多変量問題に応用展開するのは数学科中心の人材では難しいかもしれません。それならば、他の工学系や物理学系に進んだ本格的な研究者と協力すればよいでしょう。また、大学の方が民間よりもゆとりを持って研究できるでしょうから、本流のマクロ経済学の方面、特に金融論や会計学から金融工学に入られる方々には、本質的な問題において十分に活躍する余地があるでしょう。新しい分野を拓くならばきっとこの方面であると思います。
金融は実学の最たるものであり、純粋数学と勘違いしてはなりません。物理学と同じで理論が数学的にいくらよく出来ていても実戦で誤りとわかれば駄目なものは駄目です。新しくこの分野を研究される方には、怪しげな確率変数を使ったり姑息な数学に凝るのではなく、私たちがいつも抱いている、「自己資本比率規制など意味があるのか」、「そもそも○×のリスク管理など可能なのか」、といった本質的な議論に発展させて欲しい。常識で考えてみましょう。メガバンクひとつで一国の経済の相当量を占めるという時代のリスク中立な理論など説明力に乏しいと思いませんか?リスクファクターの非線形性ばかりいくら追求したところで、ポートフォリオ自体の非線形性、時間的不連続性、不確実性を無視していればリスク評価は怪しいものでしょう?デイトレーダーを見ていると情報論と金融論の間に新天地がありそうに思えませんか?金融工学の教科書は綻びだらけですし、解決すべきテーマは山のようにあり、そして私たちは本物の成果を待っています。問題の本質に目を向け、実業に貢献すること、それが金融工学の役割であると思います。
- *1 次の翻訳本2冊を推薦します。
- ゴールドマン・サックス、ウォーバーグ・ディロン・リード著、藤井健司訳、「総解説・金融リスクマネジメント」、日本経済新聞社
- ミシェル・クルーイ、ダン・ガライ、ロバート・マーク著、三浦良造訳、「リスクマネジメント」、共立出版
- *2 Markowitz, H.M., “Portfolio Selection,” Journal of Finance 7 (1952)
- *3 Sharpe, W. F., “Capital Asset Prices: A Theory of Market Equilibrium under Conditions of Risk,”
Journal of Finance 19 (1964) - *4 Lintner, J., “Security Prices, Risk and Maximal Gains from Diversification,”
Journal of Finance 20 (1965)